過ちの契る向こうに咲く花は
 今日の会社は、朝からすこし浮き足立っていた。
 というのも、うちの部署に親会社から出向してくる人がいるからだ。
 しかも、その人は親会社経営者一族の次男。だからうちみたいな小さな会社は部署だけでなく全体的にそわそわしている。

 噂によれば、とんでもない美形ならしい。噂だけど。
 まあ残念ながら、男性が八割以上は占めていそうなうちの会社にはあんまり関係がない。
 私は、この部署唯一の女ではあるけれど、それはそれ。他の部署の子に「羨ましいです」なんて言われたけれど、別に何があるわけでもなかろう。

 デスクに座って、片隅に常備している鏡の自分をチェックする。
 髪の毛、よし。眼鏡、よし。化粧も別段目立たない。
 いつも通りの自分を確認して、始業を待つ間に紅茶を一杯飲む。

 わずか五人の開発企画部。みんな緊張しているせいか、いつもならギリギリに来る角田さんまで、今日は十分前に着席していた。
 その新しく来る一族次男は、始業のベルが鳴ってしばらくしてから来るのだろう。きっと小さな会社をぐるっと案内されてから、最後にうちに顔を見せる。

「どんな奴かな。すごい高飛車だったらやだなぁ」
 左隣に座る水原さんがこぼすように言った。
「どうでしょう。まだ若いんでしたっけ」
「そうなんだよ、俺より年下ってのがまた困るんだよなぁ」
 彼の言葉に思わず周りが頷いた、ような気がした。
 詳しくは知らないけれど、その人物はこの部署で私の次に若いらしい。
 経営者一族の次男という明らかな立場、なのに年は下。そのジレンマを皆が苦慮しているようだ。

 なんとも言えない空気を孕んだまま、始業のベルが鳴る。
 きっと渦中の人物はこの建物に既にいるのだろう。まだ関係のないこの部屋は、ボスである佐々木さんの号令で開発企画部の朝礼が始まる。
 簡単な連絡と現在の状況確認。各々が発言し、最後にボスが「皆さん知っての通り」と口を開いたときだった。

 開けたままだった、扉をノックする音が響く。
 振り向かなくても、さして広くない部屋。そこには背の高い男性が立っていた。
 誰だ、と思うと同時に、もしや、という予感が広がる。
「伊堂寺さん」
 ボスが慌てて席を立つ。
 伊堂寺、と呼ばれた男は「おはようございます」と静かに挨拶をし部屋へと一歩入ってきた。
「今日からこちらに配属されました、伊堂寺巽(いどうじたつみ)です。よろしくお願いします」
 そして至極明瞭な声で名乗る。

 この人がか、とただ認識した。
 数秒遅れて確かに美形だ、と納得した。
 中性的だったり甘ったるい顔のアイドルとは違う。どちらかと言うと海外の彫りが深い俳優のような、凛とした顔立ちだった。もうすこし老けたら、もっと色気が出そうな。
 これは数少ない女性社員が喜ぶだろうな、と漠然と感じる。
 
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