過ちの契る向こうに咲く花は
「ご機嫌どう? 葵ちゃん」
 食堂に行く気になれず、中庭のベンチに座っていた私のところに鳴海さんがやってきた。
 昨日は違ったのに、何故かちゃん付けで呼ばれている。
「いいと、思いますか」
 春とはいえ、今日はまだ風がすこし冷たい。そんな日に敢えてここにいる私に鳴海さんは「だよねぇ」と笑う。

 出勤途中に買っていた、ペットボトルの紅茶をひとくち飲む。
 鳴海さんは私の左側へと腰を下ろした。

 社内では、おそろしいほどのスピードで昨日の噂が回っていた。遅刻で顔を出せば水原さんに「伊堂寺さんは先に来てるぞ」と言われ、仕事中、角田さんに書類を渡せば「野崎さんがねぇ」とにやにやされる。
 その矛先は伊堂寺さんにも向かうのに、当の本人はにこやかに受け流していた。元が元だけに、周りも深くは突っ込んだりしない。だからほとんどの関心は私に向かってきているのだと、思う。
 お手洗いですれ違った別の女性社員たちには、あきらかに噂されていた。内容までは聞こえなかったし聞きたくないからいいけれど、その顔を見るに一時の井戸端会議には花を添えそうな感じだ。

「昨日のことは、昔ちょっと縁があって、久しぶりの再会、って話にしておいたんだけどなぁ」
 手に握られていた総菜パンをぱくつきながら鳴海さんがもらす。
「噂って、尾鰭がすごいよね」
「そんな笑顔で言わないでください」
 たいして私は、昼食に持ってきていたサンドウィッチなど、ちっとも喉を通らなかった。

 幸い、どうやらまだ婚約者云々の話は出ていないようだった。ただ野崎すみれさんのほうがどうなっているかは知らない。
 とりあえずまだ私のところに苦情は来ていない。来られたところで、ほんとうにどうしようもないのだけれど。

「で、巽から聞いた?」
 もう散り始めた桜のはなびらが、風に乗ってやってきた。
 そんなのどかさにとても似合う笑顔と、とても似合わない話題。
「聞いてないことにしたいです」
「やっぱり、唐突だよねぇ」
 唐突以前の問題ですが、と意見したい。そんな私の心を読みとったのか、鳴海さんはあははと笑って首を傾げる。
「協力、できそうにない?」
 協力、という単語に引っかかった。同時にこのひとは、伊堂寺さんのことをよくわかっているのだろうなとも感じた。
 
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