シンデレラを捕まえて
唇に噛み付かれた。
そっと、柔らかく。
それは僅かな疼きと、衝撃を私に与えた。

知らなかった。
自分の唇が、マシュマロみたいにふわふわしていたなんて。だってそういうことでしょ?
ほら、こんなにふにふにと歯を受け止めてる。


「ん……」


今度はぺろり、ぺろりと舐められた。マシュマロの次は、飴になった感覚に襲われる。噛まれて、舐められて、このまま食べられてしまうんじゃないかと思ってしまう。唇が少しずつ、削られていくイメージ。

するり、と首筋に手が這った。大きな手のひらはそのまま下に降り、鎖骨を撫でた。指腹で窪みを幾度も撫で、肩まで辿る。
唇だけに意識を集中できなくて、時折体が震える。
と、キスの合間に少しだけ唇を離した穂波(ほなみ)くんが、囁くように言った。


「今日の服、かわいい。似合ってるなってずっと思ってた」


買ったばかりのカットソーは、肩口まで明らかにしていた。素肌に視線が向けられるのを感じて、頬が赤らむ。


「あ、えと、その……」

「色もすごくいい。美羽さんの真っ白い肌が映える」


再び、深く唇を重ねられる。そのまま、ベッドに押し倒された。
腰元にざわりとした感覚がきたと思えば、服の中に手が忍び込んでくる。脇腹を撫であげられて、肌が粟立った。大きな手のひらは、やわやわと感触を楽しむような触れ方に変わり、小さく声を上げてしまう。しかしそれも、彼の口の中に吸い込まれていった。
ふ、と唇が離れる。
いつもは遠くに見るだけだった形の良い唇が目の前にある。唇には鮮明に感触が残っているけれど、それでもどこかでキスしてしまっていることを「嘘みたい」と思ってしまう自分がいる。


「美羽(みう)さん」


切なげに名を呼ばれる。視線が、吐息が近い。ああ、だってほんとに嘘みたい。彼とこんな風になるだなんて、想像すらしなかったのに。
だけど、私を見つめる瞳には確かな熱情がある。現実だと言っている。


「ん……」


額に唇が落ちた。ちゅ、と柔らかく触れた唇はこめかみ、頬、耳へ移動していく。その度にびくびくと反応してしまうと、耳朶の辺りで彼がそっと声を洩らした。


「どうしよ、かわいすぎる」

「そんなこと……言わないで」


思わず顔を逸らすと、「俺の方を見ててよ」と言われる。


「待って、だってなんかはずかし……、」


偶然にも視線を投げたのは、ベッドサイドの小さなテーブルだった。
瞳は、その上に光るものを捉えてしまう。
私は、忘れようとしていたその存在に気が付いてしまった。

それは、数ヶ月前の誕生日に比呂から貰ったプレゼントだった。私の誕生石であるアクアマリンが嵌ったシルバーリング。


『可愛いだろ?』


そう言って、右手の薬指に嵌めてくれた比呂の笑顔を思い出す。


『左には、いつかな』


左手の薬指には口づけを落としてくれた。
と、そこまで思い返してしまうと、胸の奥がきゅうっと締め付けられた。目じりに涙が浮かぶ。


「……集中、させてあげるね」


比呂を思い出したのは、ほんの少し。僅かな時間だったはずだ。
しかし、私の上にいる男性はそれを察してしまったらしい。

穂波くんの言葉に驚いた私が言葉を発する前に、口を塞がれた。舌が、生まれる前の言葉を全部掬い取っていく。
息も出来ないほどの濃密な口づけに、頭がくらくらする、。


「今は、俺に躰を預けていなよ」


唇と唇が紙一枚ほどの距離で離れた。吐息を交換するほどに近いところで、穂波くんが囁く。


「そしたら、美羽さんは泣かなくってすむから」


酷く心地いい声だった。だからなのか、彼の言葉は呪文のように私の中に響いた。

今だけは、穂波くんとこうしていれば、私は泣かずにいられる。


「ん……」


小さく、微かに頷いた。頷くことは、自分の狡さを認めることだと思った。
けれどそれでも穂波くんには伝わったらしい。「うん」と短く答えた後、彼は私の唇に噛み付いた。



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