冬夏恋語り


部屋の向こうから、赤ちゃんの泣き声が近づき、反射的に立ち上がったちいちゃんはドアに向かった。

ドアが開けられ、そこには大空くんを抱いた脩平さんが立っていた。



「大空、どうしても泣き止まなくて。最終兵器を頼む」


「真っ赤な顔して、相当泣いたわね。おいで」



最終兵器とは、おっぱいのことだそうだ。

泣きじゃくっていた大空くんは、ちいちゃんがおっぱいを含ませると夢中で飲みはじめた。

小さな体で力いっぱい飲む大空くんの額ににじんだ汗を、脩平さんがガーゼでぬぐい、「ありがとう」 とちいちゃんから礼が伝えられる。

何気ない家族の様子は微笑ましく、その風景は結婚への憧れにつながっていく。

赤ちゃんの可愛らしさに見とれていると 「これ、読んだ?」 と脩平さんが新聞を差し出した。



「地方紙の記事だけど、西垣武士って彼でしょう」


「名前が載ってるの?」



ほら、ここだよ、と見せられた記事には、大学名のあとに 『講師 西垣武士』 とあった。

脩平さんは偶然見つけたそうだ。



「講師になったんだね」


「知らなかった……」


「えっ、そうなの?」



授乳しながら、ちいちゃんも覗き込む。



「講師になったの、内緒だったのかしら。でも、どうして? ユキちゃんを驚かせるため?」


「わからない……」



コラムは、地方のある地区について書かれたもので、西垣さんが体験したこと、気がついたことなど読みやすくまとめられていた。

私の目を引いたのは最後の文だった。


『……と、以上が地区に住んで思ったことだ。

遠隔地のため、好物のアイスクリームを買うためのコンビにが近くにないことと、

会いたい人にすぐに会えない寂しさをのぞけば、不便もまた楽しいものである』



「会いたい人って、ユキちゃんのことよね」


「そうかな」


「そうよ。長く会ってないでしょう?」 


「夏祭り以来かな」


「一ヶ月も前じゃない。会いに行ったら?」


「アイスクリームを持って?」


「そう、コンビニのね」



わぁっ、という私たちの大きな笑い声に驚いたのか、おっぱいを飲んでいた大空くんの体がビクッと震えた。



「わっ、ごめん。そらくん、びっくりさせちゃったね。ゆっくり飲ませてあげて。

私、電話してくる」


「ちゃんと言うのよ」


「わかってる」



何を言うの? 誰に? と脩平さんは不思議な顔をしていたが、ちいちゃんは 「いいの、いいの、女同士の話よ」 と笑って意味深な返事をしている。

部屋にちいちゃん家族を残して、私は縁側から庭に出て西垣さんに電話をかけた。

いつもなら 「電話してもいい?」 とメールで確認するが、今日は背中を押された勢いでコールボタンを押していた。

土曜日は休日のはず。

はず……だが、彼には休みがあってないようなもので、完全な休日はないに等しい。

取り込み中なら電話にでない、なにもなければ電話に出る、それを決めるのは彼。

どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのか。

彼からの連絡を待つだけでなく、自分から動けばよかったのだ。

それでも、コールの間は緊張でドキドキが続いた。



『どうしたの?』


『話しても大丈夫?』


『なにかあったのか』



何事かと心配され、話しにくくなってきた。



『そうじゃないけど、えっと、新聞を見たから』


『新聞? あぁ、コラム、読んだんだ』


『うん』


『そっか……』



滅多にない私から電話に彼も身構えていたのか、西垣さんの安堵した声が伝わってきた。

私の緊張もほぐれて、互いにほっとしたところで疑問を口にした。



『大学の正式な講師になったの?』


『うん? あぁ、うん』


『どうして教えてくれなかったの?』


『言うつもりだったけど……電話じゃなくて、深雪に直接言いたかったんだ』



西垣さんの返事に、問い詰めるように聞いてしまったことを悔やんだ。

大事なことだもの、私も顔を見て言ってもらったほうが嬉しい。

そう思うのに、気持ちを上手く言葉にできなくて、無言のまま数秒が過ぎる。

夕方の風に、軒下につるした風鈴が揺れて音を奏でた。

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