世界でいちばん、大キライ。
月明かりを仰ぐようにして、何気なく久志が漏らした。
その言葉に驚いたのは、桃花だけでなく、言った当人の久志もだった。

桃花の驚いた視線に気づいた久志は、ふっといつもの雰囲気に戻って桃花と目を合わせる。
そして、少し慌てるようにして言葉を繋げた。

「きっと、麻美が、な」

咄嗟に口をついて出たものかもしれない。
けれど、桃花にはそのひとことが、自分の気持ちには応えられないのだ、という念押しにも感じられてしまう。

「あは……ま、まぁでも、まだまだ働いてお金貯めなくちゃですし。あ、久志さんってどんな仕事されてるんですか?」

桃花は居た堪れない思いを押し隠すようにして、明るい声色で話題を変える。
久志もそんな桃花に気付きながらも、どうフォローしなおせばいいのかわからないまま、ただ質問にだけ答える。

「あー、SE? いや、プログラミングもやったり……要するに機械相手に一日過ごしてるよーな仕事って言えばいーのかな」
「機械! うわ、全然未知の世界だ」
「それ言うならそっちだって、オレからしたら未知の世界で頑張ってんじゃん」

何気なく反応した桃花の言葉に久志は素で返すと、そのまま続ける。

「機械は同じように設定すれば大抵同じ仕上がりになるけど。でも、コーヒー(あれ)は人の手でやるだろ。それなのに、毎回同じ味、同じ温度で出すあんたの手の方がよっぽど……」

つい無意識に本心を吐露していた久志だが、最後の方に我に返って咳払いと共に口を噤んだ。
桃花のことを褒めるのがいやなわけじゃなく、ただ単に、そんなふうに今まで感じていたことを伝えるのがどうにも気恥ずかしかった。

久志がソッジョルノに通う理由は、仕事が終わる週末に、息抜きがてらぼんやりと出来る店が帰り道にあったから。
初めはそれだけだった。

「……同じように、提供できてますか?」

桃花が目を大きくして問うと、久志は大きな手で口を覆うようにして間を置いた。
それから夜空に視線をちらりと上げ、目を伏せながら小さく頷く。

「今まで飲んできた中で、いちばん美味い」

いつしか、桃花のコーヒーに魅入られ――。

「――ありがとうございます」

気付いたら、桃花自身にも惹かれてしまっているのかもしれない。

本当にうれしそうに。けれど、それを全面に出さないように、少し俯きながらはにかむ桃花を見てしまうと、久志はその桃花から目を逸らすことが出来ずにいた。
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