アラサー女の憂鬱【壁ドン企画】
アラサー女の憂鬱
" ごめん。今日は帰るのが遅くなるけど、話があるからもう少し待ってて欲しい。 "
 彼からメールが届いた。
 時刻は夜中の12時過ぎ。
 私の誕生日も終わった。
 29歳の誕生日。
 ケーキもプレゼントもお祝いの言葉もなかった。
 最初から期待はしてなかった。
 こういうのは慣れてる。
 それに、今日彼が接待で遅くなる事は知っていた。
 そこに見合いの相手がいることも・・・・。
 会社の同期で社長秘書をしている友人が、今夜の接待の詳細を教えてくれた。
 相手は大病院のお嬢様。
 製薬会社を経営するうちの社長にとって、今回の見合いは良縁と言えるだろう。
 そう、彼・・三浦遥斗は社長の息子でうちの会社の専務。
 背が高くて、顔もハンサムで、日本の最高学府を首席で卒業した超エリート。
 性格も優しくて人望もあって非の打ち所のない人。
 話があるっていうのはきっと別れ話だ。
 私はただの普通のOL。
 顔も美人ではないし、実家は普通のサラリーマンで金持ちでもない。
 しかも、総務部で古株となった私はお局扱いされている。
 終わってる女。
 陰で私はそう呼ばれてるらしい。
 そんな不釣り合いな私たちが付き合ってもう2年以上経つ。
 会社には秘密の関係。
 将来の約束なんてしてなかったし、今日でこの不毛な関係を終わらせよう。
 結婚には執着してない。
 私にはきっとそんな幸せはやってこない。
 でも、彼の口から別れ話なんて聞くのは嫌だ。
 面と向かって言われてしまったら、私は泣きすがってしまうかもしれない。
 そんな醜い姿、遥斗には見せたくない。
 去り際ぐらいわきまえてる。
「さよなら」
 携帯の彼の登録データを削除すると、携帯の電源を切った。
 これで彼と繋がるものはなくなった。
 彼と付き合うきっかけとなったのは、良く行くカフェに私がこの携帯を忘れたからだ。
 近くの席にいた彼がわざわざ私を追って携帯を届けてくれた。
「突然でビックリするかもしれないけど、僕と付き合ってもらえませんか?一目惚れなんです」
 彼は笑ってそう言ったけど、きっと彼の周りにはいなかった毛色の違う猫に興味を持っただけ。
 飽きたら捨てられる。
 別れを切り出されるのはいつだろう?
 1ヶ月後?
 それとも、3ヶ月後?
 そう覚悟していたのに、意外にも私たちの関係は長く続いた。
 会社の人に見られるのが嫌だったから、会うのは大抵この家だった。
 会社の人には付き合ってる事を秘密にする。
 それは、私が出した条件だった。
 いつ終わるかもわからない関係なのに、会社の同僚に知られて変な目で見られたくなかった。
 だが、もうそんな心配もしないで済む。
 テーブルに並べた夕食を全部ゴミ箱に捨てて後片付けを済ませると、持ってきた紙袋に彼の家に置いておいた私物を無造作に入れた。
 立つ鳥跡を濁さずだ。
 明日、退職願を出して会社を辞めよう。
 田舎の父が危篤だとでも言っておけば、上司は急に辞めても文句は言わないはずだ。
 彼と同じ会社にはいられない。
 顔を合わせるのは辛い。
 ちょうどアパートの更新の期限がきているし、実家に帰るのもいいかもしれない。
 実家に帰って、ゆっくりして・・・・。
 時間が経てば彼の事なんてきっと忘れる。
 次の日出勤すると、すでに出社していた上司に退職願を出した。
 自分で考えた事情を説明すると、上司はあっさり受理した。
 7年も勤めた会社なのに・・・・辞めるのはこんなに簡単。
 私が辞めても代わりはいくらでもいる。
 それも自分より若くて可愛い子が・・・・。
 携帯の電源はずっとオフのまま。
 電源をオンにして知ってしまうのが怖い。
 遥斗からの着信があっても、なくても私はきっと動揺する。
「携帯・・・番号変えた方がいいかもしれない」
 その日は密かに作っていた仕事のマニュアルを後任に渡し、業務の引き継ぎをすると、定時きっかりに仕事を終えた。
 廊下でエレベーターを待つ。
 だが、止まったエレベーターの扉が開いてハッと息を飲んだ。
 中に彼がいたのだ。
 周りには誰もいない。
 後ずさろうとしたが、遥斗に腕を捕まれた。
「何で逃げるの?」
 目が氷のように冷たい。
 私に突き刺さるその視線。
「・・・・」
 私の知っている温厚な遥斗じゃない。
 彼の豹変ぶりに私の脳がついていかない。
「鬼ごっこをする気分じゃないんだ」
 彼に強引に手を引かれエレベーターの壁に身体を押し付けられる。
 次の瞬間には、彼がエレベーターの壁に手をついた。
 ドンという大きな音がして、思わず目が震えた。
 真っ正面には冷ややかに私を見据える彼の顔。
 壁と彼に身体を挟まれて私は逃げられない。
 よくわからないけど、彼は怒っている。
 どうして?
 そんなに直接別れの言葉を言いたかったの?
 そう思うと悲しくなる。
「専務、止めて下さい!」
「専務じゃないよ、梨乃?どうして昨日帰ったの?」
「・・・ここは会社で・・・」
「もう定時後だよ。携帯にも出ないし、何で俺を避けるの?」
 俺?
 目の前にいるのは一体誰だろう?
「・・・・」
「言わないなら、お仕置きだよ」
 遥斗の顔が近づいてきて、強引に私の唇を奪う。
「遥斗・・・だめ・・・。みんなに見られちゃう」
 私が遥斗の胸に手を当てて抗議すると、彼は悪魔のように微笑んだ。
「俺は見られても構わない。梨乃は俺のだって堂々と宣言出来るからね。今まで梨乃が怖がるかと思って自分を抑えてたけど、こんな風に逃げられるならもう遠慮はしない」
「・・・でも、大病院のお嬢さんと結婚するんじゃないの?」
「梨乃がいるのに?俺をなんだと思ってるの?」
「・・・・ごめんなさい」
「もう逃がさないよ」
 そう言って遥斗はまた私に口づける。
 今度のキスは私から思考力を奪うような甘いキスだった。
 場所や時間を忘れそうになる。
 だが、チンというエレベーターの扉が開く音がして我に返った。
 エレベーターを待っていた社員がみんな目を丸くしている。
「あ・・・」
 見られた。
 どうすればいい?
 今日中に噂が広まる。
 私がこんなに動揺してるのに、遥斗は余裕だ。
 ポケットから何か取り出すと、私の手を取った。
「今日から俺の婚約者だから」
 フッと笑って、私の薬指に指輪をはめる。
 ブリリアンカットのきれいな指輪。
 いつ用意したのだろう?
「本当は昨日の誕生日に渡すつもりだったんだ。拒否権はないよ。昨日は父に状況説明するのに時間がかかったけど、今夜は実家に連れて帰るから。両親が梨乃に会いたがってる」
 遥斗の言葉に目頭が熱くなって涙が溢れた。
 彼は私の事をこんなに想ってくれてた。
「・・・遥斗」 
「梨乃、愛してる。ここにいるみんなが証人だ。今後は遠慮しないから、覚悟してね」
 遥斗が私にそっと口づけ、妖しく微笑む。
 私はとんでもない悪魔に捕まったらしい。
 でも、温厚な遥斗よりも、素の彼の方が私は好きだ。
 私は終わっていない。
 私の恋はこれからが本番なのだから。

 

 
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