倦怠期です!
「・・・ふーん。それでおまえはひとり暮らしをしたいと言ってたのか」
「はい。でも夏のボーナスは引っ越し費用にほとんど使って、冬のボーナスとわずかな貯金は、お父さんにあげちゃったから、ひとり暮らしの夢は遠のいちゃいました・・あ、そこ右です」と言った私に、因幡さんは無言で応える。

ハンドルを握っている因幡さんの手は大きくて、指はスッと伸びてて・・・ハンドルさばきはサマになってて。私よりすごく大人だなぁと思う。

「大学んときさ、友だちが死んだ」
「・・・は?」

今日の因幡さんには・・・驚かされっぱなしだ。
私はまた、因幡さんの横顔を見た。

「自殺したんだ」
「う・・・わ」
「そいつさ、死ぬ30分くらい前に、俺んとこに電話かけてきてさ。ごくフツーの会話を2分くらいしたかな。最後はお互い“じゃーな”って言って。ホント、普段通りだった。っつってもさ、そいつとはメチャクチャ仲が良いってわけでもなかったんだよな。同じ学部で、たまに講義の席が隣になったって程度で。だからなんであいつが最後、俺に電話かけてきたのか、5年経った今でも、いまだに分からん」
「・・え?」
「不治の病に侵されてなかったし、鬱でもなかった。俺より親しくしてた友だちもいたと思う。それでも俺、あいつが自殺してからしばらくの間、あのとき俺があいつの異変に気づいていれば、あのとき悩みを聞いてれば、って自分を責めてた時期もあった」
「でもそれは、違うと思う・・」
「そう。違う。自分を責めても、あいつは生き返らないし、あいつが自殺したという事実は覆されることはない。それにな、そうやって自分を責めることは、“俺、可哀想”と思って自己憐憫に浸ってるだけなんだよ」と因幡さんは言うと、私の方を見た。

いつの間にか車は止まっている。
てことは因幡さん、私んちがどこにあるか、知ってたのか・・・あ、そうだった。
前飲みに行ったとき、住所とか言ったよね。
それで戸田さんちに近いって分かって・・・。

「“あのとき気づいてれば”と思うのは偽善だ。そう思うことで自分を正当化してるっていうか、自分を責めることで許してほしいと思うってか・・・。とにかく、自分を憐れんで、他人のせいにして生きるのは止めようと決めた。って最後のセリフは、俺のカノジョが俺に言ったこと」

と言ってニマッと笑った因幡さんが、すごく・・・カッコいいと思った。
そして今の言葉で、私の何かが目覚めたような気がした。

「たぶんおまえはお父さんに金をあげた自分を責めてると思う。だがな、お父さんが可哀想だと思ったのも、同情したのも、金をあげたのも、全部すずが決めたことだ。それがいいとか悪いとか言ってんじゃない。そう思うことを他人のせいやお父さんのせいにするな。悲劇のヒロインにはなるなと俺は言いたいんだ」

因幡さんの力説に、私はただ、ウンウンと頷くことしかできなかった。
私が何か言葉を言うと、陳腐に聞こえそうだし・・・泣きそうだったから。

「お父さんのことが好きなら好きでいいんだよ。親が別れたって事実は変わらないからこそ、楽しかった思い出まで否定する必要はないだろ?時々思い出して“そういえば、あんなこともあったなー”くらいに思ってればいいんだよ」
「う・・ん」

ついホロリと出た涙を、私は慌てて手で拭った。

「はたから見てぶざまに見えてもいい。カッコ悪い生き方してもいいじゃん。そう思う奴がいれば、逆にカッコいいと思う奴もいるんだろうし。大体、他人がどう思うのか気にして生きても、そいつらが俺の人生の責任取るわけじゃないんだ。勝手に思っていればいい。とにかく、何事も自分が決めなきゃ、自分の人生生きられない。すずはすずの人生を生きろよ」と因幡さんに言われた私は、一つ頷くと「はい!」と、元気よく返事をした。

「因幡さん、いろいろとありがとうございました」
「おう。今後、仕事の愚痴くらいなら聞いてやるから話せよ。だから仕事辞めるな」と言う因幡さんの言い方がおかしくて、私は笑うのをこらえながら、どうにか「はぁい」と言った。

「おまえにとっては愚痴かもしれないことや、迷惑だと思うことが、他人にとっちゃ何でもないことはたくさんある。だから何でも話せる友だちを持て。そういう友だちが一人でもいれば、もっとラクに生きられる」
「うん・・・そうですね」

そのとき私は、因幡さんに「そういう友だち」になってほしいと思った。
でも因幡さんにとっては、「重荷」でしかないだろう。
だって因幡さんの「そういう友だち」って、彼女のことだよね。
たぶん・・・ううん、きっと。

私は、因幡さんの白いクレスタを見送りながら、ちょっと切ない気持ちになった。


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