砂糖漬け紳士の食べ方



この編集部が抱える『月刊キャンバニスト』は、大ヒットとは言えないものの長年発行されている美術系雑誌である。

その時折々で、今をときめく画家やコラムニストへのインタビュー、全国で開催される展覧会の特集など…

時には専門的と揶揄されてしまう美術界を、誰にでも分かりやすく、楽しめるように編成するのがモットーである。



やはり月刊誌である以上、記事の仕上がり程度で仕事量は増減する。

記事を提出してくれるコラムニストが締め切りを破れば、その分だけ誰かが残業を強いられる。



まさしくアキが今文字に起こしているインタビュー記事も、取材する予定だった文化人の予定が立たず、昨日になってようやく取材出来たという塩梅。





「お、チキンじゃん。何これ」



彼女が一心不乱にキーボードを打ちこんでいると、袖を捲くった筋肉質な腕が伸びてきた。

同期の中野だった。



「隣の部署の人がくれたの。クリスマスだからって」

「ふーん。いただきまーす」

中野も彼女と同じように「クリスマス戦闘員」の一人だ。
彼はまだ紙バケツに残っているチキンを掴み、その場で歯を立てる。


「ちょっと。自分の席で食べてよ」

アキの小言がすぐさま彼へとぶつけられたが、けれど中野の視線は彼女のパソコン画面へと向いた。


「何これ。吉田先生のインタビュー記事、今文字起こしやってんの?」

「あー、うん。吉田先生、なかなか捕まらなかったみたいで…。
中野くん、チキンの残り食べちゃってくれないかな?はい」

「どーも。しかし桜井、いつもこうだよな」

「え?」

「大体残業で、他の人の仕事の始末つける役っていうか…今日だってクリスマスなんだから、残業断れば良かったでしょ」


アキはふと、少し離れた席にいるであろう編集長の気配を気にした。

中野の言葉が編集長に聞こえていなかったのか否か、相変わらずキーボードの音が編集部室に響いている。



アキは小さく、苦々しく笑った。


中野の言葉はいつも率直で、そして遠慮なくアキの根底を掘り起こしてみせる。

今夜も、こうやって。



「…いや、まあ、いいの。私、別に予定なかったし」


彼女の返しは釈然としないものだったが、中野も深く考えることはしなかった。


「ふーん。ま、俺もないけど。お互いにさみしいねえ、同期の桜よ」


中野は早々に1本目のチキンを平らげ、既に2本目へと手を伸ばす。



「それより中野くん、自分の仕事は終わったの?」

「え?…うん、8割」

「早く終えて帰りなよ。…じゃないとまた終電逃がすよ?」

「だぁってぇ、独りの部屋がさみしいんだもん僕」

「張り倒す」

「あっ、あっ、ごめん、やめて、グーは卑怯だぞ桜井!」


「何やってんだ二人して。さっさと終わらせろってー」

「はっ、はい!」


部屋に響いた編集長の声に、中野が背筋を伸ばして慌てて自分の席へ戻った。
もれなく油べたべたの手痕をアキの机に残して。



アキは再びICレコーダーのスイッチを入れた。


…確かに中野の言うとおり、「どうしてわざわざこんな日に」と思わなかったかというと、嘘ではない。

けれどアキには、隣の席の後輩のように、一週間前から当日の服を心配したりすることはなかったし
予定だって特別入っているわけでもない。

かと言って、じゃあ「いいなぁ、彼氏がいて」と指を咥える気持ちかというと、そうでもなかった。




クリスマスイブという恋人色の強いイベントに、自分が主役の一人として加われる気がしない、というのか…。

いや、それ以前に、片思いばかりだった自分の恋愛遍歴の中で
誰か男の人が「君が誰よりも好きだよ」と数多い女性の中から自分一人を選んでくれる気もしなかった。






── そうだ。

── 私はサブヒロイン体質なんだな。





アキは一人、我ながら良い名付けだと小さくほくそ笑んだ。





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