砂糖漬け紳士の食べ方

彼の分のミルクティーがもうすっかり冷めていることを、アキは目ざとく見つけた。

沈黙に窮した結果だった。




「あの、ミルクティー淹れ直しましょうか」

「…いや、いいよ。それより、せっかくだからこれでも食べなさい」



冷めたマグを啜りながら、伊達はアキへスミレの砂糖漬けを勧めた。


「若い子が好きそうだから」と彼が言うだけあって、確かにパッケージは女性好みのパステルな色遣い。

開ければ、途端に広がる花の匂い。真っ青な紫色の砂糖漬け。


一つ噛んだ瞬間、まるで香水のような華やかな香りが鼻から抜けていく。



スミレの味を堪能するというよりも

まるで固形物になった香水を食べるような…。



伊達も一つ齧り、彼女がもう一つと手を伸ばした瞬間

「今日も良いお天気ですね」とでもいう風に、彼は言葉をスルリ滑らせた。




「制作現場、取材してもいいよ」と。




アキは、掴んでいたスミレをテーブルへポトリと落とす。

しかしそれを拾おうともせずに、彼女は慌てて身を乗り出した。



「…どうしたんですか急に。だって、あれほどもう絵は描かないって」


「気まぐれ」


「いや…それはもう、描いて頂けるのならとても助かります!ありがとうござい」

「ただ、私の絵は高いよ?」



感謝を述べる唇が、その言葉で止まった。



「…ええ、それはもう、存じております」


あの贋作が300万円以上していたことをアキは決して忘れたわけではない。

伊達は彼女の慌てぶりを堪能するかのように、ゆっくりと頬杖をする。




「そうですね、編集部宛てに領収書を切っていただけるならそれで…」

「…私は、桜井アキ、君に聞いているんだ」



先ほどには、あんなにしおらしく感じていた彼は

今やどこか楽しそうにニヤニヤと口の端をあげている。



悪い笑顔だ。




アキの視線が空を仰ぐ。

いわゆる彼は、この低収入な私に金額をふっかけようとしているのだろうか。




「えーっと…相場ですとおいくら…」

「さあ。それは私が決める」

「横暴ですよ、そんなの!」

「嫌かい? ああ、そう。だったら仕方ないなぁ」


わざとらしいその声が、深夜のリビングへ甲高く響いた。


「昨日の接待だって、大方、私に絵を描かせようという編集長の目論見があったろうに。

君はせっかくこの機会を失うんだね?残念だ」



はあ、とこれ見よがしなため息が、彼女の感情を逆なでした。



「う…」

「嫌なら仕方ないね、何せ強要は出来ない」


「分かりました!私個人で、払います!」


言って、後悔をするにはもちろん遅かった。



彼女の覚悟ならざる失言に、伊達は薄い笑顔をさらにいやらしく歪める。


にっこり。




「毎度ありがとう。では明日から、君の好きなように制作現場を取材するといい」





もう、スミレの砂糖漬けなんて可愛いお菓子になんて目は行かなかった。



代わりに、自分の手取り年収と貯金と、売却したらお金になりそうなものを瞬時に考える。


…果たして自己破産はいくらから可能なのだろう。



アキは、引きつった唇を直すことは出来なかった。


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