「恋って、認めて。先生」

「お前、また名前間違われたな!」

 比奈守君の席を見て、近くの男子生徒達が彼をからかう。彼らは親しい間柄なのだろうか?比奈守君は頬杖をついてそっぽを向いた(『また』って事は、毎年担任の先生に名前間違われてきたのかな。私が言うなって話だけど、それは複雑な気分にもなるよね)。

 ……ああ、気まずい。これって私のせいだよね?仕切り直さないとっ!

「皆、静かに…!それでは改めて、ひなもりせき君」
「…………はい」

 こちらの動揺を見抜いているのかいないのか、比奈守君はうつむいたままそっけない声で返事をした。



 ……はあ。初日からどっと疲れた。

 生徒達が帰った後、私は職員室に戻り自分の机に突っ伏した。大きなため息が出る。

 あの後、私的仕切り直しはあっけなく流されてしまい、比奈守君は男子達にからかわれっぱなしだった。彼は黙って周囲の言葉を聞き流していたけど、私のせいであんな空気を作ってしまったのだと思うと申し訳なくて、気まずさは増す一方だ。

 名前を呼び間違えられることの経験は、私にだってあるというのに……。不愉快とまでは言わないが、何度も自己紹介をしなくてはならないあの雰囲気の居心地悪さは、体験した人になら分かってもらえると思う。

 比奈守君にそんな気分を味わわせておいて、明日からちゃんとあのクラスの担任をやっていけるのだろうか。不安だ……。


「大城先生。お疲れみたいだね」
「永田先生…!お疲れ様です」

 勢いよく顔を上げ、挨拶を返す。

 隣の机の永田永斗(ながた・えいと)先生は、私より二つ年上の27歳。イケメン教師と言われ女子生徒から絶大な人気を誇る数学教師だ。職場の中でも一番華があると思う。

 ここ数年恋愛事に興味の薄かった私も、三年前この学校に就職して永田先生と初めて顔を合わせた時はドキッとしてしまった。

 三年間一緒の職場で働き、永田先生に対してそれ以上の感情が湧くことはなかったけど、今は彼のことをとても尊敬している。職場でもっとも気の許せる先輩だ。

「疲れた顔してるね、大丈夫?」
「はい、平気です」

 永田先生は、何かあるたびにこうやって気にかけてくれる。誰に対してもこうなんだろう。私とは二歳しか違わないのに、大人の余裕というやつを感じる。

 他人のことにまで気を回せる永田先生の器用さが少しだけうらやましい。私は自分のことで精一杯だから。

「本当か?平気って顔には見えないな」
「永田先生には何でも気付かれてしまいますね」

 私は苦笑する。

「実は、さっき生徒の名前を呼び間違えてしまって……。彼に申し訳なく思い、反省していたところなんです」

 簡単に事情を話すと、永田先生は朗らかに笑った。

「それ、僕も経験あるよ。あれ、何とも言えない空気になるんだよね。新年度が来るたび、名簿見てドキドキしてる」
「永田先生も間違えたりするんですか?」
「するする!どれだけミスったか分からないよ。近頃の生徒はオシャレな名前の子が多いし、呼び方も様々だしさ。女子を相手にする時はなおさら気を遣うよ」
「そうなんですね。なんか、そういうお話を聞けてちょっと安心しました」

 永田先生は、顔だけじゃなく性格までかっこいいと思う。

 彼に話を聞いてもらうことで、いつの間にか心は楽になっていた。心機一転、明日から頑張れそうな気がする!

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