「恋って、認めて。先生」

 同じように濡れていく比奈守君の髪から水滴が垂れ、頬に落ちる。それを拭ってあげたくなったけど、寸前で私は手を引っ込めた。

「変わったのは、受験に対してだけじゃないんです」

 そうつぶやく比奈守君の瞳は潤んでいた。

「先生に出会ってから、恋愛に関する考え方も変わりました。しなくたって問題ないと今までは思ってたけど、全然違いますよね。好きな人がいるのといないのじゃ、日常の景色が」

 比奈守君は再び私の手をにぎる。さっきのように片手じゃなく、今度は両手。しかも、指先を絡めるように胸の前で優しくにぎった。ぞくに言う恋人つなぎというやつだ、これは!

 大人の女らしく余裕を見せたいのに、顔が赤くなってしまうのが自分でも分かる。生徒の前で失敗した時とは比べ物にならないくらい、恥ずかしい。

 比奈守君の指先が私のそれをくすぐるように優しくなでてくる。

「先生も、そうでしょ?」
「えっ!?」
「俺といるから花が綺麗に見えたんだと思いますよ?」
「そっ、そうなのかな!?分かんないよ、そんなことっ!」

 気付けばまた、比奈守君はこちらに迫っていた。私の背中は自販機に押し付けられる。

「好きです。先生」
「……っ!」

 比奈守君の唇がそっと私の唇に触れた。それは一瞬の出来事だったのに、まるでずっとそうされていたみたいに、私の唇はいつまで経っても熱を失わなかった。

 胸はひたすら熱く、空気は雨の匂いで満ちている。

「先生と、ずっとこうしてたい……」

 比奈守君は私を抱きしめ、かすれた声でささやいた。あたたかい体温が私の体を包む。ホッとするし嬉しいのに、ここへきてなお、私は素直になれなかった。


「ダメだよ、比奈守君……」
「どうして?」
「だって、私は教師で比奈守君は生徒。この前の告白だって断ったんだよ?なのに、こんなことするなんて……」
「先生、本当は俺のこと好きでしょ?」
「えっ!?」

 動揺で、鼓動が高鳴る。私の気持ちは見透かされてた?

 比奈守君は惜しむように私から離れ、間近で顔を見つめてきた。

「分かりますよ。先生、俺を好きって顔してる」
「……そんなことない」
「どうしたら認めてくれますか?」

 どっちが年上なのか分からない。比奈守君は言葉巧みに私から本音を引き出そうとする。彼の前世は魔法使い的な術者か何かだったんじゃないかと思えてならない。

「もっとしたら、正直になってくれますか?」

 意地悪に目を細めて、比奈守君は私の頬にキスを落とす。唇へのキスより長い。

「比奈守君、私、先生なんだよ?こんなことしたらダメだよ……」

 そう言うしかなかった。比奈守君のことは好きだけど、やっぱりこわい。比奈守君の存在を体感するほどに、私は現実に引き戻される。


 こうしている今も、頭の中で2つの思考がぶつかり合っていた。過去を忘れて思いっきり比奈守君を愛したいという前向きな想いと、男の人の心変わりがこわいと怯える臆病な想い。


 比奈守君は、制服の袖口で私の髪の水滴を拭き、言った。

「元カレにつけられた傷、俺が忘れさせます」
「どうして、そんなに自信あるの?人の気持ちなんて……未来の気持ちなんて分からないって、比奈守君も言ってたじゃん…!」

 気付くと、私は泣いていた。

「だいたい、比奈守君は高校生だよ?この先もっと色んな出会いがある。今は狭い世界しか知らないから私のことがよく見えるだけだよ。だいたい7つも年上の女の何がいいの?」

 肌だって、髪だって、どんどん衰えていく。これから美しくなることはない。高校生の頃は何の手入れもしなくてもツヤを保っていた肌は、今は毎日スキンケアしないと乾燥する。

 世間では、二十代はまだまだ若いと言われるけど、人生で一番老いを感じる時期だとも言われている。本当にその通りだと思った。徹夜が厳しくなってきたし、十代の頃に比べ体力も落ちている。夏も日焼け止めをしないと外に出るのがこわい。
 
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