結婚前夜ーー旦那様は高校生ーー
「ただいまぁ」
ミドリとお茶を飲んでいると、母が帰ってきた。後ろには父が影法師のようにそっと立っている。
「あー今日あったかいのねぇ。コート着てきて損しちゃった。あらミドリちゃんいらっしゃい」
「お邪魔してます」
 母がひといきに話し始めるのはいつものことなので、ミドリもなれている。ニコニコ笑って頭を下げた。

「二人とも一緒だったんだ」
 夏帆がそう言うと、父は
「たまたま会ったんだ」
 ボソリと答える。そうしながら、庭先で踊っている悠樹を見てわずかに眉をひそめた。
 
 母はさっさと居間を突っ切って台所に向かうと、冷蔵庫に買ってきた食材をガンガン詰め始めた。
 お父さんなにか飲むー、麦茶あるよー。尋ねる母に、父は黙って頷いた。

 食品会社の研究員という仕事柄、表に出ない所為か、母よりも色白の父。めがねの向こうの表情はいつもあまり変化がなく、なにを考えてるのかよくわからない。背はまぁまぁ高いのに、猫背を直さない所為で本来の身長より五センチは低く見える。
 母は父と正反対だった。ショートカットの髪の先を揺らしていつもバタバタと動き回っている。よく弾むボール、という印象。専業主婦だけど、やれコーラスだジムだ料理教室だと、ほとんど家にいない。夏帆が小学生のときはPTA会長をやっていて、学校の催しのたびに母が来て手を振ってくるのがとても恥ずかしかった。

 よくしゃべる行動派の母と、放っておくと細長い漬物石のようにじっと動かない父。二人の間に生まれた夏帆は、ちょうど真ん中くらいで落ち着いてると思っていた。

 だけど結局、お母さん似なんだろうなぁ。

 十歳も年下の子と結婚して知らない街に行く。そんな願いを突き通すエネルギーが自分にあるなんて、悠樹と出会う前は想像もしてなかった。

「夏帆、明日これ持ってきなさい」
 母が片手に持ったスーパーの袋を上にあげた。重そうな袋がガサリと音をたてる。
「なにこれ」
 母から袋を受け取って中身を見て、眉間にシワが寄った。

 袋に入ったポケットティッシュの詰め合わせ、マスクの入った紙箱が一つ、お湯をそそぐと味噌汁になる乾燥味噌が一箱、コンタクト洗浄液と目薬、ペットボトルの水が二本と洗剤。下の方にはのど飴が一袋見える。
「……なにこれ」
 もう一度言う。
「安かったから」
 いやいや意味わかんないから。袋を突き返そうとすると、母はもう台所へと戻っていた。
「あって困るものじゃないでしょ。最初のうちはスーパーの場所だってわかんないでしょうし」
「だからって困るよ。荷物になるじゃん」
 二階に置いてるトランクにはどう考えても入らない。大阪の新居までこの袋をぶら下げて行くなんて考えたくなかった。
「いいじゃん。ありがたいよ」
 声に振り返る。いつの間に練習を止めたのか、悠樹が縁側に立っていた。母はすかさず、そうでしょそうでしょと頷いて、
「ほら悠樹君、荷物運びに行くわよ。仕度なさい」
 と声をかけた。

 こんなにたくさんどこに置いとくつもりなんだろ。知らないからね。じろっと悠樹を見ても当の本人はそ知らぬふりで、はーい、と元気に返事をして部屋に入った。踊っていたせいでワイシャツが汗びっしょりになっている。母は呆れたように言った。
「着替えたほうがいいんじゃないの」
「でももう洗濯できないし」
 自分のシャツを見下ろして悠樹が答えると、母は顔をしかめた。
「汗臭い花婿さんなんてだめよ。いいから脱いで、後で洗濯機回すから」
 とりあえずお父さんのワイシャツ着てればいいから、と勝手に言われ、父が目を見開く。ミドリが堪えきれず笑って耳打ちした。
「旦那君、すっかり溶けこんでるじゃん、夏帆の家族に」
 いやでも、と思う。
 ようやくだ。ほんとに、このギリギリになってようやくここまできた。

 悠樹は先週自分のアパートを引き払った。式までの残りの日は夏帆の実家で一緒に過ごすことになったからだ。そう言い出したのは悠樹だった。
 最初はひやひやしたけど、一緒に過ごす時間がもたらしたものはたしかにあった。分厚い氷の壁越しに会話してたような雰囲気は、日が経つにつれて少しずつ溶けていった。
 育ち盛りに加えてしょっちゅう踊って動いてる悠樹はカロリーの消費も多い。毎食ご飯をおいしそうに食べ、進んでおかわりもする。

 女の子とはちがうのねぇ。
 母は悠樹の食べる様子を楽しそうに見て、今日なに食べたい、と悠樹に尋ねるようになった。二年前の夏帆同様、母も悠樹にご飯を作ってあげるのが楽しくなったようだ。母子そろって悠樹を餌付けしようとして、妙なところで血のつながりを感じてしまう。
 
 一方父は、案の定というか、一週間一緒に過ごしたくらいでは懐柔されなかった。むしろ男同士が洗面台でかち合ったりすると、どちらも気まずげに身を引いたりと、牽制なのかなんなのか、わからない攻防戦をくり返しているようだった。
 一度だけ悠樹が言ったことがある。

 俺、お父さんに嫌われてんのかな。
 部屋でパック中だった夏帆は、物理的にしゃべれなかったし、そうでなくともなんとも言えなかった。母曰く、嫌ってるというのではないらしい。一人娘の夏帆が連れてきた相手なら、十歳年下だろうが五歳年上だろうが、いやなものはいやなのよねぇ。苦笑してそんなことを言っていた。
 それでも、長い睫毛を伏せて消沈している悠樹にそんなこと言えなかった。

 きゅっと悠樹の手を握って、反対の手で柔らかな髪をなでる。
 夏帆が悠樹の両親を気遣うのと同じように、悠樹も夏帆の親に気を遣っている。当たり前のことなんだけど、そういうことに気がつくときは意外と少ない。ごめんねっておもって、でも少しうれしくて、胸がじわりと柔らかく痛む。
 バラバラの欠片を繋ぎ合わせて、一枚の絵を作っていくようだ、とおもう。
遥か遠くにあって、色も形もちがう欠片。引き寄せて、ひとつひとつ組み合わせていく。まだかみ合わない欠片、ようやくつながった欠片。
 絵が完成するにはまだまだ時間がかかる。夏帆と悠樹でさえ噛み合わないところがある。

 それでもいい。ゆっくりでいいから、少しずつ優しい絵になっていきたい。そんなふうにおもった。
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