結婚前夜ーー旦那様は高校生ーー
3月9日、午前11時
 夏帆さん、と呼ばれて首だけ振り向く。スーツ姿の山口さんがにこやかに笑っていた。夏帆と父の間に立って、
「緊張してますか」
 と笑顔で尋ねる。

 笑おうとしたけど、硬くなった唇がわずかに動いただけだった。夏帆の隣に立つ父も同じらしい。ぴくんと頭を動かしたけれど、言葉は出なかった。

「それじゃ、いきましょう」
 山口さんは笑顔のままそう言って、夏帆の両脇に立つ介添え人に目で合図した。流れるような動きで両側からサポートされる。長いドレスの下、裾を踏まないよう気をつけながらゆっくりと控え室を出て、すぐ隣にあるチャペルへと移動した。
 重厚な扉の向こうから、聖歌が聞こえる。なんの曲だっけ、思い出せない。緊張で頭の中が真っ白になっている。

「幸せになりなさい」
 ふいに父が言ったのはその時だった。前を向いて、ほとんど唇を動かさずに。

 ……お父さん。
 なんでこんなタイミングで。目の奥が熱くなって視界がぼやけた。

「ありがとう」

 扉が開いた。

 天井まで響きわたる歌声。誰かのきれい、という囁き。いくつものフラッシュが星のように視界の端で爆ぜる。そのなかで、夏帆はそっと囁いた。
 昨日ここに来たときにも、昨夜のお父さんにも言えなかった想い。ううん、きっともっと前から、あの背中に届けたかった言葉。

 ありがとう、お父さん。

 わたし結婚するよ。幸せになるよ。

 ヴァージンロードの向こうの祭壇の前で、悠樹がじっと夏帆を見つめている。いつものように、夏帆、と呼ばれた気がした。
 今と、過去と、この先の未来から、ずっとずっと夏帆を呼び続ける声。

 あなたとなら、どこへでも行ける。

 夏帆は微笑むと、祭壇へと一歩あるきだした。





 悠樹へ

 幸せをありがとう。

 夏帆より 
 



ーーENDーー

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