ひとまわり、それ以上の恋
 そこで私を待っていたのは――市ヶ谷副社長だった。
 彼は椅子から立ち上がり、私たちの方へやってきた。
 すらっとした長身の、仕立てのいいスーツを着た彼……。

 私を選んだのが、副社長。
 ここに連れられてきた意味は……何?
 ぐるぐる、と回っていく心の声。

 爽やかさと甘さを同居した目元が、ふんわりと笑みを刻む。

「連れてきてくれてありがとう。三十分後には社長がジュネーブから戻るんだろう。君は迎えに行って構わない」

 市ヶ谷副社長が促すと、美羽さんは彼に頭を下げ、そして私に朗らかな笑みを向けた。

「じゃあ、菊池さん、あとで」
「あ、ありがとうございます」

 ドアがパタンと閉まって、私と市ヶ谷副社長は二人きり。
 彼はゆったりと近づいて、私に挨拶をした。

「やぁ。迷子の子猫ちゃん。入社おめでとう」
 やわらかそうな髪の色と似たガラス玉のような瞳が、やさしく私を見つめている。

「市ヶ谷さん……」
 夢の中で何度も読んだ名前が、零れ落ちてくる。

 しまった、いけない。
 副社長って言わなくちゃいけないのに。

「嬉しいな。覚えていてくれたんだね」

 彼の爽やかな微笑みと微かな桜の香りを感じた瞬間――。

 緊張してドキドキと打っていた鼓動は、いつの間にか、
 トクン――と淡いときめきに変わっていた。



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