製菓男子。
目が覚めたら前髪がない。
あえて伸ばしっぱなしにした前髪だけでなく、寝返りを打つたび、ずしんずしんと新雪を踏むみたいに枕に沈んだ髪の重さがどこにも見当たらなかった。


わたしの部屋には鏡がない。
お風呂に入った際の濡れた髪の自分に何度も悲鳴をあげたことがあるくらいだから、自分の部屋に置けるわけがなかった。


だから確認するときは、部屋を出て洗面所に向かわなくてはいけなくなる。


自室の、ドアの向こうは大河だ。
人から見れば単純な廊下に違いないのだけれど、わたしの精神構造上そこを渡るということは、溺死覚悟でゴウゴウと流れる川に飛び込むことに似ている。


「―――……一日分の体力を使った気分」


命からがら一階の洗面所に渡り、鏡で自分の顔を確認する。
胸もとくらいまであった前髪は眉が隠れるくらいに切りそろえられ、お尻まであったうしろ髪は肩までと短くなり、恐怖の象徴である重い黒髪は紅茶のような色になっている。


(まるで別人を見てる感じだ)


廊下なのに溺れてしまったみたいで、呼吸が苦しい。
涙も鼻水も一緒になって出てくる。


こんな外見に成り変ったのは一週間ほど前のことになる。
こんなにも時間が経っているのに慣れないというのは、某ホラー映画の貞子風外見期間が自分の人生の半数を占めていたからかもしれない。
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