在日メンヘラだけど質問ある?
今、生きてる私

だいたいこうやって生きてきた

名前は漢字三文字、内、姓は漢字一文字。

見るからに「大陸系の外国人です!」って名前と、毎日話す日本語以外はほぼほぼ理解出来ない語学力を携えて、私は生きている。

日本に生を受けて23年。
女ではあるが、名前だけは半島男児のそれだ。



そもそも生まれた時から日本にいた。
父も母も生まれた時から日本にいる。
祖父母については、父方も母方も、祖父は半島から渡ってきて、祖母は生まれた時から日本にいる。

純粋な由緒正しき在日韓国人である。
完膚無きまでに日本に住み着いている韓国人である。



お見合い結婚の両親の元に生まれた。

両親はエラく仲が悪かった。

まあそもそも在日の男は女房を殴る……完全に私の概念では、という話だが。
父は当然母を殴ったが、私が生まれ、妹が生まれ、子供たちが育ち…と家族が出来上がって行くにつれて、殴ることは稀になっていった。
事実、私の記憶に残る最後に父が母を殴った時は、私がまだ園児だった時のことだ。

それならまだ救いがあるじゃないか、というにも早いのは、父方の祖母の存在の所為もある。

そもそも在日の姑は嫁をとにかくいびる……完全に私の概念では、という話だが。
祖母が嘴を突っ込んでくる度母の精神は削られていき、母は鬱病を発症した。



私が小学校3年生の頃には、拒食の果てにがりがりに痩せこけた母は抗鬱剤漬けになり、見る見るうちに薬の副作用で丸々と太って行った。

ランドセルを背負って帰宅するのは真っ暗な家、母はベッドに寝たきりで、ただいまの挨拶を寝室に送ってから、遊びに行ったり塾に行ったり。

我ながら碌な幼少期ではないが、妹に至っては小学校入学とほぼほぼ同時に母がこの状態なのだから、何というか、目も当てられない状況だろう。
可哀想、という安っぽい同情は彼女を見下すことにもなりかねないレベルに。



父は都内で、小さいながらも事務所を開いていた。
(身バレが怖いので職種などは敢えて言わずにおく。)

母が鬱を発症してから、父もそれなりに頑張った。
寝たきりで何も出来ない母の代わりに、遠足の日のお弁当を作ってくれたこともある。
悪い父親ではなかった、とい今ではそれなりに評価できるが、それは恐らく家族内で私だけなのではないか。
その話はまあ、おいおい。
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