躊躇いと戸惑いの中で
真剣な気持ち





    真剣な気持ち







私の気持ちを汲んでくれたのか、河野の態度は翌日からも変わることなく、以前のような気の合う仲間という形を保ってくれていた。
いつもみたいに馬鹿を言っては笑い、仕事上の悩みを打ち明けあい、気を遣うこともなく飲みに行く。
そんな日々を数日過ごしていたある日、穏やかになったはずの空気が又ざわざわとしだす。

新店以来、私は久しぶりの残業をしていた。
といっても、ほんの一時間ほどのことで、終電を気にするようなこともない。

「さて、帰ろっかな」

パソコンの電源を落とし、コーヒーを飲むのに使っていたマグカップを下げに給湯室へ向かう。
廊下を進んで行くと、ぼんやりとPOPフロアの奥の方だけ明りがついているのが窺えた。

乾君、まだ居るのかな?

新店もなく残業をしているという事は、既存店から何かしらの急な依頼があったってことよね。

ドアのそばから首を伸ばして中をうかがおうとしたところで、奥の機械のそばに座っていたらしい乾君が立ち上がったのが見えた。
そうして、覗き込んでいた私に気がつくと、満面の笑顔を見せる。

「碓氷さん。お疲れ様です」
「おつかれー」

ドア付近に立ったまま返すと、こちらへ近づいてくる。

乾君とこうして話すのは、あの給湯室でキスをして以来だった。
特に忙しくしていたわけでもなかったけれど、タイミングの問題なのか、お互い顔を見ることもないほどだった。
乾君に関しては、梶原君もいなくなって、色々と大変だっただろうけれど。

「まだ残業?」

そばに来た乾君に訊ねると、首を横に振る。

「今日は、もう帰ります。碓氷さんも上がりですか?」
「うん。これ片付けたらお終い」

使い終わったマグカップを見せると、乾君も一緒に給湯室へと歩き出す。


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