10回目のキスの仕方
Zero kiss
 大学から自転車で10分の所にある、市の中央図書館に美海(ミウ)はいた。そこで2週間に1度本を3冊借りては返すのを3か月は繰り返している。

「…読みつくしちゃったなぁ、この作家さん。」

 もはや活字中毒になっていると言われても仕方がない。どうも美海は女性作家が好きで、作家読みをしてしまうのだが、もう2人分は読みつくしてしまった。新しい作家を開拓しなくては、読書欲を抑えきれない。
 コツコツと鳴るヒールの音や、子供の小さな足音、本のページをめくる音。そのそれぞれが優しく響くこの空間が美海はたまらなく好きだ。

「とど…かないっ…。」

 最近気になっている作家の名前で検索をかけたところ、この棚で間違いはないし、本の題名は棚から距離を取れば見える。身長がそれほど高くはない方である美海にとっては届きそうで届かない。背伸びを3回繰り返して、かすりはするけれども取れる気配はない。

「え…?」

 悪戦苦闘しすぎて美海は背後に気が付かなかったが、いつの間にか背後には背の高い男の人が立っていた。するりと細い腕が、美海の届かなかった本を掴んだ。ふわりと香ったのは木の匂いだった。

「…どうぞ。」
「…ありがとう、ございます。」

 悪戦苦闘していた姿を見られていたのかと思うと恥ずかしさで美海の頬が熱い。相手が黒髪であることはわかったが、しっかりと顔を見ることができない。低い声が耳に響く。本の重みが手に伝わって、はっとした。その時にはもうゆっくりと足音が遠ざかろうとしていた。

「あのっ!」

 なけなしの勇気を振り絞って、声をかける。足音は止まった。

「ありがとう、ございました。」

 深く頭を下げて、ゆっくりと顔を上げた。その先にいたのは、美海よりも20センチは身長の高い男だった。見た目としては年齢が近いような気がする。短い黒髪の下には、真っ直ぐな目が待っていた。その目は美海をしっかりと見つめている。

「どう、いたしまして。」

 男の方も軽く頭を下げて、今度こそ美海に背を向けた。ここを通りかかったのは偶然なのか、それともこの本棚に用事があったのか、美海にはわからない。ただ、今確かなことは頬が熱すぎるということだけだ。

「…緊張…した…。」

 本を一旦鞄にしまい、両手を両頬にあてると手の冷たさが頬には丁度良いくらいだった。
 桜が咲いた春空の下、美海の2年目の大学生活が始まった。
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