腐ったこの世界で
――序章



覚えていることは、そんなに多くはない。



温かくて優しい記憶だった気がする。たぶん自分にとって、一番幸福だったときの記憶。
両親が居て、兄たちが居て、何より帰る家があった。たくさんの愛に包まれて生きていた。変わらない明日が来ると信じていたあの頃。


――全ては火の海に消えた。


何が起こったのかなんて分からない。ただひたすらに走って逃げたのだ。背後を追いかけてくる「何か」から。
だけど気がついたら一人、闇の中だった。手を引いてくれていた母の姿も見えなくなって。
それでも追いかける恐怖から逃げるために、日の沈んだ森の中をひたすら歩く。やがて暗闇の中で何かにつまずいた。


人の姿をした、人だったものに。



「あぁ……ぁぁぁあああ!!」

コワイコワイコワイコワイコワイコワイ。

ただそれだけが頭の中を支配して、あたしはただ走った。
前なんか見えなかった。でも立ち止まることはもっと怖かった。

走って、走って、走って。

あたしは谷に落っこちた。
そこで気を失ったらしい。目が覚めたら旅芸人の一座の天幕に寝かされていた。
助かったと、あたしは思った。



だけど本当の地獄は、ここからだった。





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