三日月の下、君に恋した
1.うわさの男
 残業していて、気づいたら誰もいなくなっていた。寒いなあとおもったら、いつのまにかエアコンも停まっている。それではじめて、今日は金曜だったと気づいた。

 菜生(なお)は帰り支度をして、コートを着込みながら時計を見た。九時半。

 フロアを出てエレベーターに乗ったとたん、疲れがどっと全身にのしかかってきた。

「はあー」と大きな溜息をついて、エレベーターの壁によりかかる。お腹空いた。

 だから、ほんとうにびっくりしたのだ。いきなりエレベーターが停まり、ドアが開いて人が乗りこんできたときには。


「お、おつかれさまです」

 菜生はあわてて姿勢を正したものの、気の抜けたマヌケ顔を見られたことは間違いなかった。相手は一瞬とまどったようすで菜生を見たあと、黙って背中を向けた。ドアが閉まる。
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