HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-
#02 俺のこと、どう思っているの?(side暖人)
 舞を見送って自転車置き場に戻ったら、いつの間にか空はどんよりとした雲に覆われ、露出した肌に霧雨が冷たく当たった。

 天気の急な変化は珍しくないことだが、自転車通学の俺にはとにかく迷惑な話だ。霧雨くらい大したことはないと侮ってはいけない。家に帰る頃にはワイシャツもズボンもしっとりと濡れて、肌に張り付いてくるから気持ちが悪い。

 しかも太平洋に面しているT市はこういう曇天の日が圧倒的に多かった。そして一年を通して気温は低めだ。雪が少ないというのがウリの一つだったが、最近は温暖化のせいか、それも大きな声では言えなくなってきている。

 この街はパッとしない、というのが俺の印象だ。

 生まれ育った街だから勿論愛着はあるのだけど、将来ずっとこの地に住み続けたいとまでは思わない。もともと俺自身、こだわりの薄い性格だからそう思うのかもしれないけど……。

 霧雨にうんざりしながら帰宅すると、玄関を開けただけで夕飯のいい香りがした。

 母が大声で歌を歌っている。確か今、母が大いにはまっているドラマの主題歌だ。少し音程が外れているのに全然気にしないところがこの人らしい。

「ただいま。ずいぶんご機嫌だね」

「はるちゃん、お帰り。あらー! 雨? びしょ濡れじゃない」

 母は俺の姿を一瞥してすぐに洗面所からタオルを持ってきた。

「霧雨だけど結構濡れた」

「今週テストでしょ? 風邪なんか引いたら大変!」

 そういえば一学期の期末考査が今週の半ばから始まる。テスト期間中は学校が早く終わるからいい。

 ――でもあのくそ真面目な舞のことだから、さっさと帰っちゃうんだろうな……。

 タオルで頭をゴシゴシと拭きながら自分の部屋に向かった。時計を見ると17時少し前。舞はまだ電車に乗っている時間だ。

 現在帰宅部の俺だけど、実は一年生の頃、バドミントン部に所属していたことがある。でも部長と反りが合わないのでやめた。腰痛にも悩まされたし、自分が一番上手いと思っている部長には腰痛以上に悩まされたので、バドミントン部には何の未練もない。

 でも、こんな早い時間に帰宅すると健全な高校生がこれでいいのか、とも思う。

 とは言っても、今、部活動を始めてしまうと舞を駅まで送っていけなくなるので、それは困る。何しろ下校時の約一時間が舞とまともに会話できる唯一の時間なのだ。



 ――どうして隣の席なのにわざとよそよそしくして、帰りも他人に見られないようこそこそしないといけないんだ?



 制服を脱いで着替えを済ませると、ベッドの上に仰向けに倒れこんだ。

 考えることと言えば、当然だが舞のことばかりだ。

 今日一日を振り返って「あーあ」と独り言をつぶやく。

 まともに会話できる唯一の時間に、あんな八つ当たりをしてしまったことは後悔しているが、それでもやはり舞の態度には納得が行かなかった。



 ――それに舞は俺のこと……どう思ってるんだ?



 本当のことを言えば、そればかり気になって仕方がない。

 ケータイを持つことを親が反対しているなら仕方がないと諦めもつくが、それ以前に舞自身が積極的でないのはどういうことなんだろう。俺とは連絡を取りたくないのか、と不貞腐れたくもなる。

 舞の気持ちを尊重したいという物分かりのいい自分と、舞を俺の思うとおりにしたいというわがままな自分が、心の中で二手に分かれて対立していた。

 どちらかというと普段はわがままな自分が優勢だ。

 なのに、最後は絶対に物分かりのいい自分が勝つ。

 結局俺は見栄っ張りなんだと思う。嫌われたくない。そしていいところを見せたい。

 それが突然あんなふうに舞を問い詰めたり、いきなりわかったようなことを言ったりした原因なんだろう。



 ――カッコ悪すぎ。全然余裕ない……。



 昔、サヤカさんと付き合っていた頃はここまで切迫した気持ちにはならなかったな、と天井をぼんやりと眺める。そう考えるとあれは恋愛のうちには入らないのかもしれない。

 自分自身にガッカリしながら大きなため息をついた。

 そこにケータイが鳴る。メールを着信した音だ。

 俺は飛び起きて机の上のケータイを手に取り、逸る気持ちを抑えてメールを開く。



 > 今日はいろいろとごめんなさい。これからもどうぞ宜しくお願いします。



 ……舞。

 なんだ、このよそよそしい硬い文章は?



 メールを読んだ俺は瞬時にツッこんだ。



 ――あー、ダメだ!



 一度ケータイをベッドの上に放り投げて髪の毛をぐちゃぐちゃと掻き回す。

 深呼吸をして気を落ち着けると、またケータイを手に取って画面を凝視した。

 短い文章を何度も読み直し、これが舞なんだ、と自分に言い聞かせる。彼女の頑丈な垣根は、一部を破壊したくらいではすぐに修復されてしまうらしい。

 それにいきなり馴れ馴れしいメールが来たら、それはそれで驚いて引くかもしれない、と自分自身をものすごい勢いで慰めた。

 ――とりあえず返信しよう。

 この際、俺だけでもテンション上げていかないと、二人の関係はすぐに行き詰まりそうだ。



 > メールありがとう。もしかして帰ってすぐに書いてくれた?



 一応机の上の時計を見て確認するが、たぶん間違いない。しかも疑問形で終わる文章でさりげなく返信を要求しておく。

 送信ボタンを押すと自然と口に笑みが浮かんだ。そしてまた机の上にケータイを戻し、ベッドに寝転がる。

 天井を見上げた瞬間、ケータイが鳴った。



 ――返信、早すぎ!



 と、思いながら慌てて飛び起き、ケータイをつかむと急いでメールを開く。操作する時間すらもどかしい。

 そして新着メールを見た俺は一瞬頭の中がパニックになった。



 ――なんだ、これ?



 差出人を確認して、浮かれていた気分がいきなりしぼむ。

 ――菅原か……。何の用?

 同じクラスでサッカー部の菅原からのメールだった。ヤツは一部の女子に絶大な人気がある。確かに顔は甘いマスクと言えるし、サッカーをやっていて一見爽やかそうに見えるのがモテる理由だと思われる。

 仕方なく本文を読んだ。読む前から嫌な予感がしたが、最後まで読み終わる頃には身体の中にムカムカと不快感が充満していた。

 内容はいたってシンプルなもので、テスト期間が終わった後、男女三人ずつで遊ぼう、という誘いのメールだった。

 それだけなら吐き気がするほど不愉快な気分にはならないのだが、文章中にとある女子の名前を見つけた途端、俺の心拍数がぐんとあがり、血流は音を立てんばかりの勢いで脳になだれ込む。



 ――メアリー……。



 冗談じゃない。誰があんなヤツと遊ぶっていうんだ?

 フンと忌々しく思いながら鼻息を荒くした。そして返信ボタンを押す。



 ――行きたくないから行かない。他の男誘えば?



 はい、終了。

 送信されたことを確認して大きく息を吐いた。

 そもそも菅原はメアリー率いる女子グループに狙っている女がいて、最初は俺をダシにグループ交際を装って爽やかに接近しようというわけだ。魂胆が見え見えで呆れてしまう。

 グループで遊ぶのはいいが、そこに恋愛感情が混ざると絶対に面倒なことになる。いい思いをするヤツがいれば、必ず誰かが貧乏くじを引くはめになるのだ。現代に生きる者にとって、全員の平等な幸せを実現することは何よりも難しい命題の一つと言えるだろう。

 俺は菅原のために貧乏くじを引いてやるほど、ヤツに友情を感じてはいない。それに時間がもったいない。ヤツらと遊ぶくらいなら何とかして舞と一緒に過ごしたい。

 カレンダーを見てテスト期間が早く終わればいいのに、とため息をついた。

 またケータイが鳴る。今度こそ舞からであってほしい。祈るような気持ちでメールを開く。



 > 私の態度で怒らせてしまったのかなと気になっていたので、早く謝りたかっただけです。でも、まだどうしたらいいのかよくわからなくて、また嫌な気持ちにさせてしまうかもしれません。だから宜しくお願いします、ということで……。



 ――ぶっ!

 舞のメールを読んでいるうちに、俺の顔はふにゃふにゃに緩んだ。

 さっきまでのムカムカはどこかに吹き飛んで、心の中にはお花畑が広がっていく。蝶がひらひらと舞う姿すら見えるから、俺の脳はもうイカれてるかもしれない。

 ――そっか。気にしてたんだ。

 何故、舞が俺のことを気にかけていたとわかったくらいでこんなに嬉しいのか、自分自身でもよくわからないが、とにかく胸の中は幸せな気持ちで満たされた。

 同時にホッとする。実はかなり不安になっていたのだ。

 もう一度、今度は舞の声を想像してメールを読んでみる。

 文章も舞らしさが出てて、気に入った。やっぱり舞は他の女子とは一味違うな、と思う。ちょっとばかり過大評価かもしれないけど、好きな人のことになるとどこまでも褒めちぎれそうな勢いだ。

 十分に鑑賞したところで返信を打つ。



 > こっちこそごめん。でもこういう性格なので舞も早く慣れて。じゃまた明日ね。



 本当はもっとメールでのやり取りを続けたいけど、舞には舞の時間があるだろうと思い、こっちから切り上げた。

 しかし、ノートパソコンは持っているのにケータイはナシって、どういうことだ? 舞の家の基準がよくわからない。

 両親にちゃんと相談すれば買ってもらえるんじゃないのか、と余計なお節介だが思ってしまう。

 ……というか、俺の心の中では舞にケータイを持って欲しいと思う気持ちがエスカレートしていた。だってメールもいいけど、やっぱり声を聞きたいし。

 階下から母親が呼ぶ声がした。夕飯のようだ。

 部屋を出る前にカレンダーを再度眺め、テストが終わったら絶対に舞とデートしよう、と浮かれた頭であれこれと計画を練り始めた。
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