HAPPY CLOVER 2-ないしょの関係-
#03 ちょっと待った!(side舞)
 ――た、大変なことになっちゃったな……、じゃなくて!

 その話を聞き終わった私の心の叫びを聞いてください。



「勝手になんてこと、言っちゃったんですか!」



 いや、もう心の叫びどころか、気がつけばほぼ絶叫していた。今までこんなに大声を出したことがあるか、と自分でも驚くような声量だった。

 勿論、隣にいた清水くんはビクリと肩を震わせて、私から一歩横にずれる。反対側の隣を歩いている英理子さんも大きい目を更に見開いて私を凝視した。

「舞ちゃんが怒るのも無理ないよ」

 英理子さんがため息混じりに言った。私に肩入れしてくれるのは嬉しくて心強い。

「俺だって最初はそういうつもりじゃなかったし、嫌だって断ったんだ。だけど……」

 清水くんの声は尻すぼみになり、最後は口の中で何かぶつぶつと呟いていた。

「で、どうする?」

 面倒な議論をすっ飛ばして、英理子さんは私に結論を要求してくる。

 でも、いきなり「どうする?」と聞かれても返事が出来ない。正直なところ、私自身がこの展開に追いついていなかったのだ。





 午後の体育の時間が終わった後、隣の席の清水くんの様子があからさまにおかしくなっていた。さすがに気になって小声で何かあったのかと訊ねてみた。

「帰りに話したいことがある」

 何だか怖い顔でそう言うので、嫌な予感が胸の中いっぱいに広がった。

 ――話したいことって何だろう? もしかして……わ、別れ話?

 不安な気持ちのときはどう足掻いても思考がマイナスの方向へと突進していってしまう。それを自分自身で止める手段がないのだから、どうしようもない。

 隣の席からは常にピリピリしたオーラが感じられ、私の不安な心はますます暗く救いのない小道へと迷い込んでいった。

 長く深いため息をつく。

 楽しみだったはずの放課後が来ても私は暗い気持ちのままで、昨日とは打って変わって重い足を引き摺るように玄関を出た。そこで英理子さんが私に声を掛けてきたのだ。

 清水くんとの待ち合わせの場所へ到着すると、まず英理子さんが清水くんを問いただした。

「えーと、二人は付き合っているんだよね?」

「うん」

「なのに、なんで二人ともそんな暗い顔してるのよ。今が一番ラブラブハッピーな時期じゃない?」

「ラブラブハッピーってなんだよ?」

 いかにも面倒そうに清水くんは言った。私の心に何か鋭利なものがグサリと刺さり、密かに息を呑む。

 英理子さんは首を傾げて清水くんを睨んだ。

「はるくん、なんかしたでしょ?」

「俺はまだ何もしていませんが?」

 ため息混じりの彼の返事に、私の胸は更にズキズキと痛む。

 こういう蛇の生殺しのような状態はとても辛い。喉元まで圧迫されるような苦しい気持ちに苛まれるのは初めてのことだった。

 これが恋だというなら、恋はあまり身体にいいものではない気がする。

 こんな気持ちで何日も過ごしたらきっと死んでしまう。大げさだと他人は笑うかもしれないが、今の私は真剣にそう考えていた。

 ――ピリオドを打つならさっさと打ってくれ!

 思わずそう叫びたくなるが、結局ふうっと息を吐き出すだけしかできない。その言葉にならない声を聞いたのか、清水くんが私を見て突然言った。



「舞、ごめん!」



 ショックで一瞬目の前が真っ白になった。



 ――やっぱり……。

 ――そうだよね、やっぱり私が清水くんの彼女なんて、釣り合ってないもの。



 こういうときは笑ったほうがいいのだろうか。どういう顔をしようかと迷っていると頬がピクピクと引き攣る。

 私の様子を心配した英理子さんが「ちょっと!」と声を上げた。

 それを制するように彼は次の言葉を発したのだ。



「今度、菅原たちと遊ぶときに、俺の彼女を連れて行くって言っちゃった」



 ――な、な、な……なんですとーーー!!



「勝手になんてこと、言っちゃったんですか!」

 気がつけば叫んでいた。

 どうしてそういうことになるのか、全く理解できない。

 朝、私が聞いた限りでは、親友を助けるためにちょっとした嘘をつくと約束しただけで、菅原くんたちとは遊ばないと清水くんは明言していた。

 確かにあの田中くんの発言は酷く切羽詰っていて、笑いを噛み殺しながらも同情を禁じえなかった。だから清水くんが協力すると言ってよかったな、と思ったのだ。

 それがいつの間にか全く正反対の事態になっている。

 わけがわからない。

 憤慨しているところに冷静な英理子さんの「で、どうする?」という声が聞こえてきたのだった。

 別れ話じゃなくてよかったと胸を撫で下ろしている暇もない。

 清水くんは私の顔を覗きこむように背を丸めた。

「昨日も言ったけど、どうせ遅かれ早かれバレるんだから、この際堂々とみんなに宣言しない?」

「……遅ければ遅いほどいいので、絶対に嫌です」

 隣で英理子さんが吹き出す。

「舞ちゃん、案外はっきりしてるね」

「なんでそんなに嫌なのか、俺には全然わかんない。俺と付き合ってるのがバレると何か困ることでもあるの?」

 清水くんは不満そうに言った。昨日もそれで怒っていたのだ。

 唇を噛んでうつむくと、英理子さんが私の腕をそっと触る。

「はるくんにはわかんないだろうな。乙女心をもっと研究しなさい」

「なんだよ、それ」

 ますます不満そうに彼は言う。私にかける言葉より、英理子さんへ投げつける言葉は乱暴だ。私のイトコはみんな歳が離れているので、同い年のイトコを少し羨ましく思う。

 でも清水くんとはイトコじゃなくてよかったと思うんだけどね。

 黙って物思いに耽る私を挟んで、清水くんと英理子さんは会話を続けていた。 

「はるくんの彼女を志願してくる女の子と、舞ちゃんを一緒にしちゃダメだってことよ」

「そんなことわかってる。だけど、舞が卑屈になることないだろ」

 うっ、と私は思わず声を上げてしまった。それを指摘されると立場が急に弱くなる。

「だって、私なんかが彼女だとみんなが知ったら……」

「なに、その『私なんか』って? 舞はすっごくかわいいよ」

 途端にボッと頬が紅くなった。隣に英理子さんもいるのに、よくそんなことを平気で言うな、と恥ずかしくなる。

「舞ちゃん、イメチェンしてみたら?」

 顔を上げると英理子さんはキラキラと目を輝かせて私を見つめてきた。

「イメチェン……?」

「そうよ。コンタクトにしてみるとか、髪型を変えてみるとか」

 私の視線は徐々に下降していく。私も一応は女性だ。全く興味がないわけではない。確かにこの眼鏡をやめたら違う自分になれそうな気もする。

 ――でも……。



「できません」



 英理子さんの表情が悲しそうに翳った。

 それを見て私の胸もズキッと痛むが、これだけはどうしても譲れない。

 自分を変えたいと思う気持ちもあるが、それよりも変えてしまったら自分が自分でなくなりそうで、それが怖いのだ。

 ――だって、これが私だから。

 イメチェンしたところで、結局私は私なのだと思う。こんなふうにちょっと冴えなくて、人間付き合いが下手くそで、勉強だって頑張ってるけど中の上か上の下くらいで、なんかもう全てが微妙。

 こうして自分のことを考えていると、思考はどんどん悪い方向に流れていく。私の両隣に、人が羨むものを全て持ち合わせているような男女が存在しているから尚更だった。

「じゃ、いいよ。俺、一人で行くから」

 気まずく張り詰めた空気を追い払ったのは、清水くんの一言だった。明るい口調で更に続ける。

「朝と話が違うって舞が怒るのは当然だよね。大丈夫、『彼女いるっていうのは嘘』って言えばいいだけだし」

 それを聞いた私は胸の辺りがもやもやとして目をしばたたかせた。

 なんだ、この変な感じ。

 こういう感覚はあまり身に覚えがなく、私は心の声を聞こうと自分自身に耳を澄ませてみた。



 ――だって清水くん、絶対行かないって言ってたよね? ……なのに行くの? 結局他の女の子と遊びたいんじゃないの?

 ――それに「彼女いるっていうのは嘘」って……じゃあ私はなんなの!?



 私のもやもやした気持ちは次第にムカムカとした怒りに変化していった。

「そうだよ。悪いのははるくんなんだから自分で何とかしなさいよ」

 英理子さんが彼を責めるように言うと、私の中でいきなり何かがプツッと切れた。



「ちょっと待った。それ、なんか違う!」



 両脇の二人がハッとして同時に私を見た。

 私は軽い興奮状態にあり、今なら何でも言えそうな気分だった。そうだ、この際思い切って言ってやる。



「ちょっとモテるからって、何でも自分の思い通りになると思っていたら大間違いですからね!」



 言いながらブルブルと身体が震えた。これが武者震いというヤツか。

 しかも言ってることがバカバカしくて、言いながらまた自己嫌悪に陥りそうになる。だが、勢いが勝った。



「私、行かないなんて言ってませんから」



「……え?」

「舞ちゃん!?」

 まずは清水くんをじろっと睨み、次に反対側の英理子さんに真剣な顔を見せる。

「ってことは、舞も来てくれるんだ?」

 なぜか嬉しそうな声を出す清水くんに冷たい視線を送った。

「誰ですか、『絶対行かない』って言ってたのは」

「……ごめん」

 突然、横からフッフッフッと低い不気味な笑い声がした。

「舞ちゃんってさ、なにげに負けず嫌いなんだね」

 言いながら英理子さんが私の背中をビシッと叩いた。飛び上がるほど痛い。というか、実際あまりの痛さにのけぞって飛び上がってしまいました。

 いつも思うけど、英理子さん、少しは手加減とかできないんでしょうか。

「へぇ、それはいい性格だよね」

 清水くんの顔を見ると私の背中の痛みのことなど念頭にないのか、顔全体が蕩けそうなニコニコ顔になっていて、その笑顔を見た私も頭が一瞬ぼうっとなった。この人の笑顔には魅力じゃなくて、何か悪い魔力がこもっているに違いない。

 コホン、と英理子さんがわざとらしい咳払いをした。

「……私、お邪魔虫だったわね。ごめんなさい。ああ、熱い熱い!」

 手で喉元をせわしなく扇ぎながら、英理子さんは急ぎ足で私たちの前に出る。

「ま、待って!」

 慌てて呼び止めた。

 だって、その菅原くんたちと遊ぶのに同行すると言ったのはいいけど、私、どうしたらいいんですか!?

 縋るような気持ちで、振り返った英理子さんの視線をとらえる。

「あ、あの……イメチェンってどうすればいい?」

 途端に英理子さんの目に妖しい光が輝いた。

「女の子だもん、そう来なくっちゃね!」

 いきなり私の腕を掴むと英理子さんは自分の腕を巻きつけてきた。この気軽さが私にはないものだな、と思う。きっとこうやって英理子さんはいつでも私の心にすうっと入ってきてくれるのだ。

 英理子さんが私に寄っ掛かってきた。彼女のぬくもりが嬉しい。……いや、勿論私はそっちの方向の趣味はありませんよ?

 苦笑いして清水くんを見ると、これ以上ないくらい優しい目をした彼がほんの少し首を傾げて私に微笑んでくれた。
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