金色の陽と透き通った青空
第8話 軽井沢ヘ...…
 杏樹の父が残してくれた杏樹名義の貯金は、かなりの額が入っており、普通に暮らしていくには一生困らない程だった。
 それに、換金すると相当な額になりそうな宝石貴金属類に、優良株数社と投資適格格付優良の海外国債ファンド……。あの軽井沢の土地権利書、土地と建物の登記簿謄本もあった。
 これなら苦労しなくて一生暮らしていける……。

 ――だけどそう言う暮らしをしていけば、私は全く成長できないし、変わる事が出来ない。

「お父様ったら……。一人娘の私の行く末をとても心配して下さっていたのね……。それ程までに心配をかけてしまっていた、そんな非力な自分が情けない……」

 自分の生活の基盤を作る為に必要な額だけ使わせていただいて、後は自分の生活費は自分が働いて賄おう……。
 心の中で父に『ありがとうございます。大切に使わせて頂きます』と手を合わせて、貯金通帳だけ持ち出して、後はそのまま貸し金庫に置いておく事にした。

 ――いつかこの貯金から使った分を補って、働いて貯金して更に増やせるようになれたらいいな……。

 自分で稼いで自分の力で生きていく。そんな強い人になりたい……。誰にも頼らずに自分の力で生きていける人に……。
 そんな人になれたら、もう誰からも流されずに、人の敷いたレールの上を歩まされずに、自分の敷いた自分の道を思う様に生きていける。

 ――そうなりたい!!


 * * * * *


 杏樹は軽井沢駅すぐ近くにある、家賃3万円の安アパートを借り、そこを当分の間、生活拠点にする事にした。

 それから車を一台購入した。お洒落な商用車としても使えそうな、荷物も沢山運べそうなコンパクトな1600CCのハイトワゴン車。メーカーはフランス、色はレモンイエロー、黒い縁取りがアクセントで、サンルーフ付き。後ろは観音開きで、後部席はスライドドア。

 ――店を始めようと思った……。

 土地と家は、ずっと手入れもせずに放置していた状態だったので、庭は草ボーボーの荒れ放題……。家もかなり痛んでいた。
 お店は、1人で賄える程度の小規模の焼き菓子のお店と、月2回ぐらい庭で手作りの物を販売するヤードセールを開く事にした。日持ちする焼き菓子をネット販売という事も思い付いた。

 色々調べたら、焼き菓子に関しては特に資格という物は必要無い事が分った。ただ、店を開くにあたり「食品衛生管理者」の資格が必要だ。これは1日講習を受けたら取得出来るので心配は無さそうだ。
 保健所からの菓子製造業の営業許可も必要だ……。
 キッチンは、自宅用と共有は駄目で、販売用専門の食品衛生法に則ったキッチンが必要になる。保健所に行って確認する必要がある……。

 その前に荒れた庭と、ガーデンハウスのリフォームだわ……。それと同時に焼き菓子工房用の厨房も作らないと……。

 あれやこれや考えていくと、頭がパニックになりそうになる。でも楽しい……。
 杏樹はやらなくてはいけない事を、ノートパソコンに細かく書き記した。コツコツ一つ一つクリアして、私の夢を実現させよう……。

 ――そうよ……。これは私の夢なんだ!! 生きる希望だ!!


 * * * * *


 ――屋敷を出てから間もなく4年になるんだ……。私ももう25歳か……。

 杏樹は布団の中で、実父が亡くなってから、怒濤のようなこれまでの日々を思い起こしていた。
 今まで体調が悪くても、何とか頑張ってきたけれど、疲れが蓄積していたようで今回ばかりは熱も高く、食品を扱っている仕事の為、無理しすぎて商品に何かあったら取り返しが付かないし、無理して悪化させてしまっては元も子も無い。
 思い切って1週間休んで、しっかりと体を治して体調を整える事にした。

 風邪で思い当るのは2日前だったろうか……。

 年配のご婦人だったが、酷く具合の悪そうなお客様がいて、明日、娘と孫が遊びに来るので是非ここの焼き菓子を食べさせてあげたいと、頑張って買いに来た様子で……。
 熱っぽそうで顔は赤く、マスクもせずに、咳き込みながら、わりと長々と孫の自慢話まで始まって、ちょっと苦笑気味にそのご婦人の話し相手になっていた。
 こんな自然豊かな森の中で、風邪をひくなんて……。ウィルスに名前は書いて無いけれど、人を疑ってはいけないけれど……。あの事が原因かなと思った。あのご婦人は大丈夫なのかしら? 
 まあ、そんな原因を考えても仕方ないわね……。体を早く治す事を考えないと……。

「夏風邪は何とかがひくって言うけれど……」

 またついつまらない事をポツリと呟いた……。呟いても相手もいないから、ただ自分の声だけが部屋に広がって、消えていくだけ……。何だか今日はマイナーな事ばかり考えてしまう。

 お店には『 ”臨時休業のお知らせ” まことに申し訳ございませんが、店主の都合により1週間お休みさせて頂きます』の貼り紙をした。
 この貼り紙を貼りに行くのもフラフラで、やっと状態だった……。こんな状況なので、病院にも行く気力も起きない。(途中で行き倒れてしまいそうだわ……)

「はぁっ……」

 また一つ溜息が出た。

 普段、忙しく働いている時には、充実してゆっくり考えている暇も無いぐらいだが、1人ベッドで寝ている時には、つまらない事をあれこれと考えてしまう。
 それに病気の時には心細く、独りぼっちの淋しさを嫌と言うほど味あわされる。

 ブログには、臨時休業のお知らせを載せた。
 奇妙なメル友 ”フールさん” には、『風邪をひいて具合が悪いので、ブログとメールは暫くお休み致します』と書いて送信し、パソコンの電源を落とした。
 具合が悪かったので、手短な文章で、素っ気無かったかも知れない……。でも、これでもやっと送信した状況だ……。

 風邪をひいてもお腹は空くし、喉も乾く……。だけど起きるのが辛くておっくうだなと思った。

 ――そんな時だった……。

 庭の門を開けて人が入って来る気配を感じた。そして、玄関の前に立ったなと思ったら、ベルが鳴った。
 今日は起きるのもやっとと言う感じで、パジャマを着ているし、居留守を決め込む事にした。

 だが……。
 諦めないで何度もベルを鳴らす……。

 杏樹のガーデンハウスの玄関ベルは英国製のレトロなデザインの物で、アンティークなプッシュボタンを押すと、非常ベルのようにジリジリ音を鳴らすタイプ。普段は古い英国の映画のような、レトロで味わいがあって気に入ってるし、あのベル音がいい雰囲気に感じるけれど、今日みたいな具合の悪い時には頭に響いてたまった物ではない。それになんてしつこいのだろう……。まるで私が家にいる事を知ってる感じにも思える。変質者かな?

 そのうちドアをトントンノックし始め「杏樹……。大丈夫か? 杏樹……」と自分の名前まで呼び始めた。
いったいどういう事?! 誰なの?
 やっとの事で起き上がり、ドアチェーンを付けたままでドアを開けた。

 ――そこに立っている人を見て、唖然としたと言うか震撼したと言うか……。頭が真っ白になった。

「な……なんで……」

 熱で頭が変になってしまって、幻覚が見えてるのだろうか?

「杏樹……。具合が悪いんだろ? 君の事が心配になって来てしまった……」

 そこに立っているのは、あの離婚届を秘書を通じて突きつけてきた元夫だった。

「なんで……」

 言いたい事は山ほどあるのに、頭が回らなくて同じ言葉しか出て来ない……。

「あの離婚届は祖父の差し金だったんだ……。すぐに破棄して俺達は離婚してないし、ずっと君を捜してやっと捜し出して、遠くから君の事を見守っていたんだ。どうやって償おうかずっと悩んでいたし思い続けていた……。迷惑かもしれないけれど、具合が悪い事を知って凄く心配で、いてもたってもいられなくなって、来てしまった」
「…………」

 あまりにも驚きすぎて、何も考えが巡らなくなってしまった。思考回路は完全に停止状態だった……。これは悪い夢だわ!! 完璧頭が変になってしまったのかもしれないわ……。

(第9話に続く)








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