春秋恋語り
春よコイ

1 花びらが舞う頃



私の春はいつやってくるのだろう。

それとも、このまま何事もなく過ぎ去ってしまうのかな。

”いつか、御木本さんと結婚するかも” なんて胸に抱いていた微かな希望も、アナタが去った今、見失った気がするんだけど……

桜舞う春、アナタのことなんて忘れて、新しい恋を見つけようか。





城下町の風情が残る一角は城跡をしのばせる堀だけが残り、形の微妙に異なる石が綺麗に重ねられた石垣の脇には、数多くの桜が植えられている。

座ったままでは見えないが、立ち上がると桜の枝が見え、この時期の道沿いの窓からの風景は桜色と決まっていた。

大きく枝を広げた桜が、美しさを誇示するように花を見せてくれるのだ。

さまざまな団体が事務所を構えるビルの三階に位置する私たちのオフィスは、大通りの喧騒からもほどよく隔離され静かな環境だった。




高らかに声が響くと、みなの顔つきが変わった。

さすがにトップに立つ人の声は通りが良く、誰もが耳を傾けたくなるものだ。

例年なら新年度の挨拶は理事長と決まっているが、今日のところはお役御免。

今年は本部から連合会長がやってきて、仰々しく挨拶が行われている。

連合会長は、この時期に各県を巡回しているらしいが、次に連合会長がやってくるのは47年後ってこと。

ここにいる人は、間違いなく誰もいないわね。

あの人だっていなくなったんだから……



今頃、御木本さんも、私たちと同じように偉い誰かさんの話を聞いているのかしら。

アナタを見送ってから二週間がたったわね。

メールも電話もないってことは、もう私のコト忘れちゃったのかな。

それとも、初めからそんな気はなかったとか。


アナタにとって私は、少しは気になる存在だと思ってたんだけど。 

私はアナタのこと、こうして思い出してるのに、思い出してももらえないほど、簡単に忘れられる存在だったの?

そんなの寂しいわね。

ねぇ、どうなのよ……


三月まで彼が座っていた席に目を向けると、そこには伊東君が椅子の横に立っていた。

そういえば彼、伊東君に仕事の引継ぎをしてたわね。 

先日まで見えた二人の背中を思い出しながら、私は会長の肩越しに見える外の風景へと視線を移した。



江戸時代に植えられた桜は、幾多の危機を乗り越え今に残っているのだと彼から聞いた記憶があった。



「幕末の動乱期を駆け抜けた若者たちも、同じように桜を見たんだろうな」



男は事を成す前には、何かに向かって決意を固めるんだと、男のロマンを

語った顔が浮かんだ。

顔に似合わず熱血だったのよね、あの人って。

彼らから男の生き方を学ぶよ、なんて話、何度聞いたかなぁ。

桜の花を見ても風流からは程遠く、彼の口から出てくるのは幕末の血なまぐさい逸話ばかり。

春の桜は愛でるもの、新しい季節の象徴なんだってこと、考えもしなかったのかも。




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