くろこげのホットケーキ
6. 湖山さんを諦めたりしないで、この何・・・

6.

湖山さんを諦めたりしないで、この何年もそうしてきたみたいに、ずっと彼の側にいることもできただろうか。

許されなくてもいいから、時間がかかってもいいから、いつか想いを遂げることができるかもしれない、という期待すら抱けない恋。

そう、湖山さんに出逢う前にだって、そんな恋をしたこともあった。でも、そんな恋にも俺はもう慣れっこで、慎重に、慎重に、なんでもない振りをして、ことこれに関しては必要以上に豪快に振舞って勝ち取った友情。一方通行になる想いがその道を行き過ぎないように手綱を引きながら、けして飢(かつ)えることのないように恋心を満たし欲望を満たす別の誰かを求める。その事すら、友情を得るための道具に過ぎない生き方。それが俺が学んできた恋愛の知恵。

だけど、いつからか、どこか満たされなくなった。湖山さんに出逢って、湖山さんに恋に落ちて、湖山さんの側にいて、それだけで十分幸せだと思えるのに、どうしてだろう、湖山さんをもっと求めてしまう。自分のことを求めて愛してくれる誰かがいて心も体もその人に委ねてそして満たされていくのに、湖山さんを求め続けて飢(かつ)えてしまう自分がいる。

あなたが大好きだと伝えたい。髪に触れたい。肩に、腕に触れたい。あなたが今見ているものがどんな風にあなたの心を捉えているのか知りたい。あなたの視界に入るもの皆取り去ってしまえたら、あなたは俺を見てくれるんだろうか?

綱渡りをするような顔でカメラを構える湖山さんを見ていたい。自信に溢れて笑うあなたを見ていたい。仕事が終わった瞬間に呆けたようになる湖山さんを見たい。美味しいものを食べた時に眉毛が上がる瞬間を見たい。アルコールに紅くなるあんたを見たい。戸惑った時に少し怒ったような顔になる湖山さんを見たい。泣きそうになる瞬間笑おうとする湖山さんを、

抱きしめたい。

ストイック過ぎるくらいの仕事の仕方も、仕事とカメラに傾きすぎている情熱や強さとアンバランスな未熟な恋愛の仕方も、どこか脆く無防備になる湖山さんのエアポケットも、そして、俺が見たことない湖山さんも、何もかもすべて、自分のものにしたい。

そんなことしたら、全部失ってしまう。築いてきた何もかもを。あなたの信頼を。あなたの友情を。あなたが俺にくれた何もかもを。

湖山さんが友情だと思ってくれるギリギリの線を探すことに疲れ果てても、それでも、しがみついていたかった。「湖山の助手です」と言えるこの場所に。湖山さんがカメラを構える時、湖山さんがカメラを下ろしたとき、湖山さんのどんな時にも側にいる人間でありたかった。

でも、いつも流されるみたいに恋愛をする湖山さんもとうとう自分から恋をした。今は友達だと言われていても、いつか彼女は気がつくだろう。そして、ここ最近湖山さんのアシスタントをできなくなってきていても、湖山さんは別にどうということもない。(当たり前かもしれないけど) 俺だけができるなんて、過信していた自分が恥ずかしくなるくらい、湖山さんの「心配するな」っていう一言の鉄槌が俺を打ちのめした。

たとえ湖山さんが俺を、俺が湖山さんを想っているみたいに大切に想ってくれることはないんだとしても、仕事のパートナーとして、誰よりも大切だと、友人の中の一人として、誰よりも大切だと、そう思ってくれたら・・・。湖山さんのこと失いたくなくて言えない一言が、差し出せない手が俺をどんなに苦しめても、どこまでだって耐えてみせる気でいたのに。

俺たちのような人間の簡単に届く事の無い欲情は、いつも、俺たち自身と共に常に迷い続けて、自分を抑える手綱を引きながらコントロールしている内に、もう、どこへ向かっていくのかすら分からなくなる。そしてどうでもよくなる。そうやって、樹海の中を迷う方位磁石のように、あっちに振れてこっちに振れて帰り道も行き先も分からなくなって、自分の想いと自分の欲情の対象が両側から自分の腕を引っ張って引き裂くみたいになる。

そしていつか疲れ果てて、自分さえ妥協できるならこうして安泰な道に身を置く事を選んでいくのだ。

「この先、もう恋をしない」、という踏み絵。結婚という道は、俺らが選ぶ偽りの人生への一歩だ。迷い続けた自分への遺書だ。これでいい。とても正しい。両親の笑顔や彼女の笑顔を見ることは、湖山さんを想い続けてしまう俺の涙よりもずっと貴いはずなのだから。

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