美しい月
1
「うわぁ…すごいね」

中東に位置する砂漠の国、シャーラム。その王族関係者らが来日した為に、晩餐会が催された。王族の一員を経営者とする外資系企業に勤める常務第二秘書の呉原美月は、常務に付いてパーティーに参加していた。
だが特にする事もなく、副社長に付いている同僚秘書の三島陽菜と共に、人の輪から少し離れた場所に控えていた。

「そりゃあ、小国とは言えアラブの王族相手だからね。しかもうちの資本の大元だし?」
「こういう晩餐会に出ると実感するけど…何だか居心地よくないね」
「まあ…今日の私と美月はお飾りみたいなものだし?」
「…さっきから、やたら視線を感じるんだけど…」

美月は会場入りしてすぐから、妙に居心地の悪い思いをしていた。会場内に女性と言えば、ホテルスタッフを除けば彼女ら日本人秘書だけなのだ。
 しかもホテルスタッフの女性は、アラブのしきたりに則っての事か、顔を隠すようにベールをしていたが、美月と陽菜は華美にならない程度に飾っているとは言え普段通りのスーツスタイルでいる。

「中東だとまだまだ女性の社会進出が遅れているし、女秘書が珍しいのよ」
「でも…やっぱり落ち着かない」
「注目を浴び慣れてる美月でもそう感じるの?」
「浴びてないし、慣れてないったら」

茶化されて即座に否定してやる。だが注目を浴びている事に変わりはない。
アラブ系民族衣装と黒などのシックなスーツスタイルの男たちの中、二人が浮いてしまうのは無理もない。淡いピンクのドレスシャツに首元はスカーフ、膝上のタイトスカートにピンヒール…常務指定のスタイルは略式すぎず派手すぎず。ストレートロングの黒髪は緩やかにアップにしてある。

「着物って言われた時には驚いたけどね」
「ホント…却下されてよかった」

元は日本を感じてもらいたいとの志向で、二人には着物着用の案があった。動き辛い事や多々不都合が多い事から、激しく陽菜が抗議した結果、渋々上層部が却下したのだ。思い出して安堵していた二人に、アラブ系男性が声を掛けてきた。

『失礼。どなたかのお連れ様でいらっしゃいますか?』
『いえ、私どもはS&Jの秘書です』
『そうでしたか。お時間がよろしければ、ご一緒に如何です?』
『大変有り難いお申し出ですが、勤務時間に相当しますので、辞退させて頂きます』

失礼に当たらないよう、丁寧に断りを入れる。こうして断るのはもう何度目か…いい加減知れていてもいい頃のはずだ。密かに美月は呆れていた。いっそプラカードに【私は秘書です。只今、勤務中】と、日本語・英語・アラビア語での表記をした物を持っていたいとすら思う。

「呉原」
「はい、常務」

ふと呼ばれた美月は、常務に歩み寄る。

「明日だが、王子殿下と昼食の時間を持ちたい。調整出来るか?」

直ぐさま翌日の常務のスケジュールを思い出し、脳内で調整してみた。

「可能です」
「場所は任せる」
「畏まりました。すぐに押さえます」

用はそれだけらしく、美月はまた、少し離れた場所に戻った。

「常務、何て?」
「明日、王子殿下とランチだって」
「その王子殿下がうちの新社長なのかな?」
「わからないよ。でも可能性は高いね」
「確かに。けどアラブの王子っていいながらも四十代後半、とかザラみたいだし…いろいろと期待するだけ無駄か」

陽菜が残念そうに溜息する。それに美月が小さく笑った。

「三島」

今度は陽菜が副社長に呼ばれた。

「呉原も来てくれ」

二人揃って歩み寄る。そこではアラブの民族衣装を身に纏った男がいた。

『殿下、私の秘書の三島と常務秘書の呉原です』
『秘書でしたか。お綺麗なご夫人かと』
『いやいや、殿下。彼女たちは我が社で太陽と月として人気を博している秘書なんです』

副社長は自慢げに二人の話をしている。その間に常務は、二人に目の前にいる王子殿下について話してくれた。
王位継承権第一位の王子、アズィール=シュラフ=ジーン=アル=シャーラム…三十九歳。ハレムにはすでに愛妾が数人いるが、妻はまだないらしい。焼けた色の肌に黒髪、彫りが深くアラブらしい…と言えるだろうか。

『明日のランチには是非お二人もいらして下さい。花が添えられたようで楽しみだ』

あれよあれよと言う間に同伴が決められた。


「サイード=シュラフ=ジーン=アル=シャーラム殿下はアズィール殿下の弟君で、継承権第二位。三十三でアズィール殿下同様に独り身であられる」

ランチ前、急遽参加が決まった第二王子の件も含め、入念に二人の王子について教えられ、ランチは有名な日本料理店に予約を入れておいた。

『両殿下、よくおいで下さいました』
『ミスターヤマグチ』

シェイクハンドで常務がアズィールと挨拶を交わすと、斜め後ろからすっと長身が現れた。

『お初にお目にかかります。サイードと申します』
『山口と申します』

褐色の肌に彫りの深い容貌、亜麻色の猛禽のような鋭い眼光。鍛えられた上肢は、ゆとりある長衣越しにでも垣間見る事が出来る。

『こちらは私の秘書の呉原です』
『呉原です。よろしくお願い致します』

折り目正しく彼女が頭を下げると、サイードは瞠目した。ゆっくりと顔を上げた美月の目には、じっと見下ろすサイードの姿が映っている。

『…殿下?』
『っ、すまない…サイードだ』

ハッとしたサイードは無愛想にそれだけ告げて、不自然に目を反らす。それから何事もなかったかのように、山口とシェイクハンドをした。
掘炬燵式の個室で席に付くと、アズィールとサイードがアラビア語で会話を始めた。

「サイード、どうした」
「…いや…何でもない」
「そうは見えん。彼女がどうかしたか?」
「………」
「気に入ったなら連れ帰るがいい。お前のハレムはまだ空室だらけだ」
「兄上…簡単に言ってくれるな。服や物とは違う」
「私が新社長となる会社だぞ?本国新設の支社への異動辞令くらい、すぐに出してやる」
「やめてくれ、欲しければ自分で連れ出す」

サイードはそうして視界の端に美月を確認する。昨夜のパーティーに兄から声が掛かったにも関わらず、行かなかった事を後悔していた。

S&J社主催の晩餐会から戻ったアズィールに会場で撮られた画像を見せられた。その中に淡いピンクのシャツを着た関係者らしき女がたった一枚だけ、写り込んだ画像があった。

「…これは?」
「この女性か?ミスター山口の秘書でミズクレハラと言うらしい。そしてその隣が…」
それは隣にいた陽菜と穏やかに話をしている美月だった。
「サイード、お前の明日の予定はどうなっている?私はランチに招待されているから、夕刻には戻る」
「ランチ?」
「あぁ、秘書二人にも花として同席を依頼した。お前もどうだ?今からなら人数を追加しても問題はないだろう」

サイードは二つ返事で誘いに乗った。美月に会いたいと強く思ったからだ。
< 1 / 22 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop