月夜の逢瀬~皇太子様と紫苑の姫君~
上弦の月



──今夜も、あの人は来ないのでしょうね。

障子の隙間から漏れる月明かりに目を細めながら、私は溜め息をついた。

──これが、望んだことだと言うのに、どうしてこんなにも苦しいのでしょう……?

鈍い痛みを訴える胸を押さえながら、自分に問いかける。




──本当はわかっているのです。痛む理由も、自分の想いにも。

貴方を、愛してしまったからなのですよね。深く、深く。涙などでは冷めないほどに熱く──。





     *   *   *





「……ふう、終わった……」

私は筆を置くと、小さくひとりごちて固まった肩をさすった。

「そっちも終わったようね。私も、ちょうど今終わったところよ」

声の方に振り向くと、隣の席で同期の橘左少史(きつさしょうし)が同じように肩をさすりながら、微笑んでいるところだった。

ここは内裏の後宮。務めているのは全員女という場だ。

私と橘左少史は後宮のなかの、蔵司(くらのつかさ)という、装束や什器をつかさどる職場で、伴官という位置の掌蔵(くらのじょう)という職についている。

「もう日も暮れそうね……今日は量が多くて大変だったわ」

隣で彼女が呟くのを聞いて、私も中庭の方向を見る。

「本当ね。ばあやに帰れないかもと言ってきて良かった」

普段、私たちは日が昇ったあたりで仕事を終えて帰る。ところが、中庭の空に浮かぶ日はすっかり傾いて、深い陰を伸ばしていた。こんな時間だと、家に帰る前に暗くなってしまうし、牛車をひく者だってもう帰ってしまうだろう。

もう半時もすれば寝る時間であるので、仕事場に残っているのも私たちくらいだ。

私は先ほどまで使っていた書や筆をまとめると、橘左少史とともに立ち上がった。

「……今日も房では寝ないの?」

房、つまり内裏に務める私たちのような女官に与えられる部屋のある方向とは反対に足を向けた私を見て、彼女が尋ねてきた。

「ええ。あそこは居心地が悪いから。どうせ一晩だし、小部屋で寝ることにするわ」

小部屋と呼ばれている、休憩用の仕事場隣の小さな部屋を指差して私が言うと、事情を知っている彼女はそれ以上言わずに頷いた。

「わかった。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

彼女の去っていく足音を聞きながら、私は小部屋に向かい、そっと襖(ふすま)を開けた。



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