いろいろカレシ。
いろいろカレシ。~美容師の彼とお風呂の場合~
 「「ただいまー」」
 偶然重なった二人の声が室内に優しく響く。
 自然と顔を見合わせれば、すぐにふわりと笑顔が浮かんだ。
「おかえりなさい」
 ああ、本当はその言葉、僕が彼女に言ってあげたかったんだけど。なんて思いながら、やっぱり心の奥の方から疼き出す嬉しさに頬が緩んでしまう。
「ただいま」
 玄関を開けてすぐに告げた言葉をもう一度紡ぐ。
 同時に、口付けを彼女の額へ。
 僕はどうやらこの白く丸い額がお気に入りらしい。
 もっとも彼女のパーツはどこもかしこも大好きなのだから、彼女が丸ごと大好きだという無言の告白なわけで。
 けれど小さな彼女に口付けるには、額が一番近いのだ、挨拶がわりのキスはいつもそこへする。
 彼女はそれを嬉しそうに受け止めて、最近ヘビーローテーション中の黒いパンプスを脱ぐと、手早く玄関の端へ並べて中へ上がる。
「奏ちゃん、お風呂入れるね」
「うん、よろしく」
 勝手知ったる僕の家、彼女は真っ直ぐバスルームへ向かってバスタブを洗い始めたらしい。
 一人の時はほとんどシャワーで済ませてしまうから、バスタブはいつも綺麗になっている。
 それを知っている彼女はシャワーでさっと水洗いすると、すぐに湯沸しボタンを押したようだった。
 僕がダイニングキッチンに戻る頃には彼女も後を追うように廊下を歩いてくる。
 追いついたかな、と思った時には「ぎゅ」と彼女の腕が背後から腹部に回されていた。
「ふふ、ただいま奏ちゃん」
「おかえり」
「うん」
 ほんの一瞬頷いただけなのに、すごく嬉しげに微笑んでいるのがすぐ分かる。
 華奢な彼女の腕力なんてたかが知れているけれど、それでも思い切り抱きしめられたら、僕だってお腹の辺りがくすぐったくなるくらい喜んじゃうよ。
 前に回された彼女に手に僕の手を重ねて覆う。
「今日はレストランじゃなくて本当に良かったの?」
「うん。だって奏ちゃんとゆっくりしたかったんだもん。二人でお鍋って最高でしょ?」
「すごくあったかそう。じゃあ早速作ろうか」
「はーい」
 君のぬくもりを手放すのは惜しいけど、一緒にテーブルを囲んで食べる鍋は言うまでもなく最高だと思うし、その後のバスタイムだって楽しみだ。
 だから今後のお楽しみのために今は少しの間我慢。
 僕たちは上着を脱いでラフな格好になると、すぐに並んでキッチンに立つ。
 彼女が刻んでいく材料を僕が次から次へと鍋に投入にする流れ作業。
 湯気を立てる冬野菜とシーフードが柔らかな甘味で鼻をくすぐる。
 さあ、いただきますをしようか。






 僕らが食事を終える頃には、すっかり湯船も準備が整ったようで、彼女は僕のタンスの一番下に収納されている彼女の着替えを取り出し、先にバスルームへ向かった。
 女性には色々下準備があるらしい。
 いつも彼女の用意が整うまで僕は僕で着替えを用意して、呼び出し音が鳴るのを待つ。
 10分も経たない内に軽快な電子音がして、彼女からのお呼び出し。
 ドア越しにお湯の流れる音と、泡立つタオルで体を洗っている音が聞こえた。
「ちょっと待った、体自分で洗ってるの?」
「え?うん。ダメ?」
「ダメじゃないけど、背中はとっておいてよ。洗ってあげる」
「りょうかーい」
 彼女の返事を聞いて間もなく、服を脱ぎ終えた僕はほっこり湯気の立つバスルームへ。
 可愛いような、艶かしいような、小さくて白い背中が真っ先に目に入った。
 今抱きしめたら彼女は何て言うだろう。
 思い立ったら自然と身体は行動したらしい。
「きゃ」
 僕の冷たい肌と、彼女の温い肌がしっとり触れ合っていた。
 彼女の両腕ごとホールド。
 半ば強引に手を止められた彼女は一生懸命振り向こうとするけれど、左肩に僕の顎が乗っているせいで振り返りきれないようだ。
 いやいやをするように体を左右にひねるけど、そんなささやかな抵抗に屈する僕ではもちろんなく。
「ちょっと奏ちゃん、どうしたの?寒いの?」
 笑いながら問いかけてくる彼女に、愛しさは募るばかりで。
 寒いわけないじゃない。
「大好きなんだよ」
「うん?」
「大好きだから、たまんないの」
 そう言って一層抱きしめる腕に力をこめれば、彼女は今度こそ苦しげに僕の腕を引き剥がそうとする。
 仕方ない、離れるか。
「もー、苦しいよ奏ちゃんてば」
 ようやく解放された彼女は笑いながらそう言った。
 きっと本音のクレームだけど、そんな笑顔付きじゃ説得力なんて欠片もない。
 ただただ僕は舞い上がるだけで、反省なんて言葉は浮かびようもないんだ。
 僕はそっと彼女の手からクリーミーな泡立ちのスポンジを取り上げて、するりとした背中を撫でる。
「ありがと」
 彼女は照れながらも嬉しそうにそう言って、ちょこんと座りなおした。
 左肩に手を添えて、右手で肌をなぞっていく。
「凝ってるね」
 この小さな背中にどれだけのものを背負ってるんだろう。
 この体でどれだけの仕事をこなしてるんだろう。
 仕事場での姿を知らない僕には想像も出来ないけれど、性格上多少の無理は無理とも思わず全力で立ち向かっているんだろうな、ってことは予測がつく。
「左側、痛いでしょ?」
「うーん、ちょっとね」
「君のちょっとはみんなの「かなり」と同じなんだよね」
「そんなことないもん」
 少しだけ拗ねたような口調で言うから、お湯で泡を流したあとのつるっとした背中にひとつ、口づけ。
「ひゃっ」
 驚いたって構わない。
 そのまま背骨に沿うようにいくつもいくつも口付けを落としていく。
 くすぐったさから体を捩る彼女の腕をしっかり押さえて、抱きしめるようにしながら出来るだけもっとくすぐったさを感じるように、じわりじわりと唇を滑らせる。
 彼女は感じるものを全て堪えるように両手に力を込めて、体を強ばらせた。
「声、出してよ」
 吐息を多めに耳元で囁けば、彼女は首を左右に振ることで意思を伝えてくる。
 そんな仕草が自分の首を絞めていると気付かない彼女は、僕の熱を煽るだけ。
 時折赤い痕をつけながら熱を宿し始めた肌を堪能していると
「そう、ちゃん」
 苦しげな声と、潤んだ瞳が僕の心を捕えた。
「何?」
「も、ダメ…。奏ちゃんも、カゼ、ひいちゃうよ」
「大丈夫だよ、だって君の体、湯たんぽみたい」
「ダメ。私奏ちゃんの髪、洗うの」
 あー、そんな約束もしてたね。
「ついでに背中も洗ってくれる?」
「うん」
「終わったら一緒に湯船の中ね」
「うん」
「で、抱っこさせてくれたら今は我慢してもいいよ」
「…うーん」
「じゃあ今すぐ色んなところキレイにしてあげようか?」
「ダメ!ダメダメダメ!」
「じゃ、抱っこね」
「う、ん」
 心の声がダダ漏れの、ブルドッグみたいな顔して彼女は頷く。
 そんな素直な所もまた可愛くて、僕は嬉々として彼女に背中を向けた。




 そうしてお互いの体をキレイにしたあと、揃って湯船に体を浸ける。
 もちろん約束通り僕は彼女を背中から抱きしめるようにして、自分の方へ寄りかからせた。
 こうするといつもより二人の距離が近くなって、額にも頬にもキスし放題だ。
 まるで飼い主にじゃれつく犬のように彼女に頬ずりしたり、ゆで卵みたいにすべすべした肌の感触を楽しんだり、彼女が本気で嫌がっていないのをいいことに、僕は彼女を構い倒す。
 そんなことをしていると、たまに可愛い仕返しを喰らうこともあるけれど、それすらも楽しく思えるんだからしょうがない。
 ただ面白くないのはこの湯船だ。
 僕は彼女の全てを目にしていたいのに。
「ねえ、何で泡風呂なの」
 これは疑問なんかじゃなくて不満。
 それをどう捉えたのか、彼女は楽しげに笑って僕の鼻頭にちょこんと、白く粗い泡を乗せてきた。
「こら」
「ふふ、いい香りでしょう?」
「うん。じゃなくて」
「ん?」
 小鳥みたいに首を傾げたって誤魔化されません。
「何で泡にしちゃったの」
 メ、って小さい子を叱るように口を尖らせて言う振りをしながら、彼女の額を指先でちょこんとつつく。
 彼女はそうされてようやく僕の不機嫌に気づいたのか、幾分無理な格好で振り向きながら
「ダメだった?」
 と心配げに問いかけてきた。
「ダメでしょう。これじゃ何にも見えないよ」
「何が見たいの?」
「全部」
「えっ?」
 君の全部が見たいの。
 言外にそう告げて、彼女の肩に顎を乗せ直す。
 ぴったりくっついた頬に何度か頬ずりして、それから短く口付ける。
 その間に彼女は僕の言葉を脳内リピートして、その意味を随分深く深く掘り下げているらしかった。
 この赤さは決してお風呂の熱気のせいじゃないと思う。
「何、想像したの?」
 意地悪に問いかければ、彼女はびくっと肩をすくめて「もうっ」と窘めながら、僕の腕から逃れようとする。
 まったく、これだから恥ずかしがり屋さんは。
「だーめ。逃がさない」
 引き止めながら思い切りホールドして、ぎゅっと腕の中に抱き込んだ。
 途端に彼女は大人しくなる。
 もがけばもっと恥ずかしいことになっちゃうから、ね。
 拗ねたほっぺたがぷっくり丸くなってる。
 可愛いだけのそんな仕草に、僕は人差し指で膨らんだ頬をつついてみる。
「怒った?」
「…怒ってない、けど」
「けど?」
「恥ずかしいんだもん」
「恥ずかしい?もう結構一緒にいると思うんだけどな」
「そういう問題じゃないの」
「でも僕はそういう君もまるごと可愛くて愛しいんだよ」
「ッ」
 一瞬で彼女の顔は熱を増す。
「それにね、男は視覚の生き物なんだよ。好きなものほどよーく見て、反応を逐一確かめながら愛でる生き物なの。隠されたら余計見たくなっちゃうんだ。だーかーら」
「ん?」
「見せてよ、君の可愛いところ」
 耳元で囁いて、
「えっ?ひゃあっ」
 ザバーッ
 彼女を抱えたまま立ち上がれば、すっかり火照っていい色になった彼女の肌が目に映る。
 そのまま壁際に追い詰めて、赤く艶めいた唇を何度もついばむ。
 苦しくならないように呼吸を促しながら、それでも行為を止めることはない。
 次第に力の抜けていく手が、一生懸命僕の腰の辺りに腕を回して体を支えてる。
 熱に浮かされてとろんとした瞳に、僕だけが映し出されている、この時がどれほど幸せか、君は知ってる?
「そんな顔したら、都合よく勘違いするけどいいよね」
「…?」
 君の世界を僕だけにしてしまいたくて。
 僕のこと以外何も考えられないように、僕は再び吐息ごと唇を奪うことにした。





 続く?
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