シンデレラは夜も眠れず
3、シンデレラの逃亡
 清水さんに自宅まで送ってもらった私は、パッキング済みのスーツケースを持って空港に向かった。
 携帯も解約したし、健留さんの番号は着信拒否設定をしたので彼から連絡がくることはない。
 携帯の待ち受け画面は、大学の卒業式の時に撮った健留さんとのツーショット写真。
 健留さんとの写真はこの一枚だけだ。
 この写真データだけはどうしても消せなかった。
 空港に着いて搭乗手続きを済ませて飛行機に乗ると、なぜか自分の周囲の席は全部空席だった。
 後でよくよく考えてみると、タクシーの優しい運転手さんがテェックインカウンターまで荷物を運んでくれたり、飛行機のエックス線検査もなくスムーズに搭乗できたり、フライトアテンダントも甲斐甲斐しく世話をしてくれたりと、いつもと対応が違った。
 まだ名字変更してない有栖川の名前のクレジットカードを使ったせいかと思い込んでいた。
 もっと疑問に思うべきだったんだと思う。
 でも身体が疲れていてそんな余裕はなかった。
 久米島の空港に着くと、健留さんと泊まったリゾートホテルの人が笑顔で出迎えてくれた。
 ホテルのチェックインも何もサインする事なく顔パスで終わり、私は今、浜辺に座っている。
 綺麗な夕日が沈んで、月の光が海面を優しく照らす。
 静かな波の音だけが響く。
 昔、健留さんと来た時は、食事の後によくこの浜辺を散歩した。
 憧れの人との時間は、魔法のように綺麗で楽しくて瞬く間に終わってしまった。
 デートらしい事って言えば、今考えるとその時だけ。
 極秘の仕事をしてたから、彼との関係もバレてはいけないし、彼と過ごす時間はいつもペントハウスだった。
 そもそも関係と言えるものでもなかったかもしれない。
 好きと言われたこともないし、将来の約束も契約もなかった。
 私の一方的な片想い。
 これからもきっと健留さん以外の人を好きになることはないだろう。
 そんな物思いを邪魔するかのようにポケットのスマホが鳴る。
 新しい番号は兄にしか教えていない。
 予定より早く兄が自宅に着いたらしい。
 兄の書斎の机に新しいスマホの番号を書いたメモを残しておいたのだ。
 着信音が兄の小言に思えて苦笑しながら電話に出た。兄が早く戻るなんて想定外だった。
『お前、どこにいる?お前の洋服も家具もなくなってるが一体どういう事だ?』
耳をつんざくような大声で、思わず数センチスマホを耳から離す。
 声で兄の動揺がこちらにも伝わってくる。
「兄さん、落ち着いて。一つの家に女主人が2人もいたらまわりも混乱するわ。だから、私は家を出たの。有栖川の女主人はもう春香だもの」
 春香は私の親友で兄の結婚相手。
 10日前に義理の姉になった。
 彼女の事が嫌いで家を出たんじゃない。彼女の事は好きだ。
 新婚だからゆっくり過ごして欲しいし、このお腹が大きくなって彼女に父親の事を詮索されるのが嫌だった。
 健留さんを責めて欲しくないし、同情もされたくない。私は後悔はしていないのだから。
 健留さんはいつも避妊していたし、どうして妊娠したのか謎だが、このお腹の中の赤ちゃんは私にとって宝物だ。
 幸い数年は働かなくても暮らして行けるだけの貯金はある。
 京都にいる親友も一緒に住もうと言ってくれてるし、赤ちゃんが生まれても経済的には安心だ。


 
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