ゆとり社長を教育せよ。
6.社長秘書は料理が苦手

幸い、終業時刻を迎えたのは秘書課で事務作業をしている最中だった。

社長に何も言わずに帰るなんて本当ならあり得ないけど、今日は例外。

私はパソコンの電源を落とすとふうと息をついて、斜め向かいのデスクで同じく事務作業をしていた、ひとつ上の先輩に声を掛けた。


「――凜々子(りりこ)さん、お先に失礼します」


顔を上げた彼女の睫毛は今日もこの時間なのにバッチリ上向き。

学生時代は読者モデルをしていたこともあるという野原凜々子(のはらりりこ)さんは、身長172cmのスレンダー美人。


「いいよねー、ゆとりくんの秘書だと早く上がれて」


控え目なビジューの乗った綺麗な爪で、トンッとキーボードを叩いた凜々子さんが言う。


「凜々子さんさえよければいつでも立場交換しますけど」

「んー、それだけは遠慮しておく」

「ですよね……」


私たちは顔を見合わせて、二人で苦笑する。

何を隠そう私の直前に加地社長の秘書をしていたのがこの凜々子さん。

他の二人に比べるとかなり辛抱強く耐えた方らしいけど、それでもやっぱりゆとりくんの態度に我慢の限界がきたらしく、それまで専務の秘書だった私とそっくりそのまま立場を入れ替えることになったのだ。


ちなみに専務は加地社長のイトコにあたる人だけど、見た目も性格も社長とは全く逆。

と言ってもブサイクなわけではなく、いかにも“デキル男”風な精悍な顔つきに、見た目通りの行動力を持ち合わせた、キチンと尊敬できる重役。


……って、普通はそうよね。パンダ抱き締めて居眠りする、ヤツの方がどう考えてもおかしいのよ。


そこまで考えて憂鬱になった私が盛大なため息を吐き出していると、秘書課の扉が開いて佐和子さんが入ってきた。


< 41 / 165 >

この作品をシェア

pagetop