恋をしようよ、愛し合おうぜ!
22
家に帰ってシャワーを浴びて、待つことおよそ30分。
野田さんはホントに電話をかけてくれた!

「よお、なっちゃん。今何してんだ」という低音ボイスを皮切りに、ほんの数時間前に行った無国籍料理屋さんで食べたタコライスがおいしかったといった話。
かと思えば、お互いの仕事の話をしたり。

これからしばらく会えないと思うと、あれも言っておこう、これも言っておきたいという気持ちが、私の中で次々と湧いてくる。
それはたぶん、野田さんも同じだったのかもしれない。
話題は尽きることがなく、気づけば夜中の3時まで電話でしゃべっていた。





そして翌日、じゃない、その日の朝。
もうすぐ11時になるという時刻に、野田さんが、私の住むおんぼろアパートにやって来た。

アパートの住人みんな、プラス悦子さんの彼に挨拶をした私は、野田さんの白いマイカーに乗ると、お互いの姿が見えなくなるまで、私たちは手をふっていた。

野田さんと二人きりで会えたとはいえ、今日のこれはデートじゃない。
まだ切符は買っていないけど、今日私は、だんながいるあの家に帰るんだから。

あの家に帰るのは、だんなとヨリを戻すためなんかじゃあ、もちろんない。
カタをつけるため。
正式に離婚をするため。それだけだ。

今日帰ることは、だんなには2週間くらい前、野田さんのところのプロジェクト通訳が終わる日が正式に分かった段階で、電話で伝えてある。
そのときに、「あなたと別れるために」とは一応言ったけど、そのときあの人は「そう」と軽く答えただけだった。
その声は、私が冗談言ってると思ってるみたいだった。

別居してもう9カ月になるというのに、あの人にはまだ私と離婚する気がないのか。
そして私が本気で別れたいと思っていないことに、苛立ちと腹立ち少々あり。

「眠いんじゃねえか」
「それがね、案外そうでもないんですよ。あ、でも野田さん眠たいんじゃないですか?」
「俺も眠くねえ」と言った野田さんの声は、疲れてもいないようで、私は安心した。

「えーっと。おまえ、本屋行きてえって言ってたな」
「はいっ!例のインテリア雑誌買いたいから」と私が言うと、野田さんはククッと笑った。

「しゃあねえなあ。なっちゃんがプレゼントしてくれるってなら、本屋行くか」
「ぜひおねがいしまーす」

・・・そうだよね。
せっかく野田さんと一緒にいられる貴重なひとときに、この後のことをあれこれ思い悩むのは、今はやめておこう。




「はい、どうぞ」
「ありがとな」とニヤけながら言った野田さんは、インテリア雑誌の表紙をサッと一瞥すると、テーブルの横に置いた。

「これね、悦子さんが編集を担当しているんですよ」
「それでおまえの部屋が載ったのか」
「そうです。私だけじゃなくって、みんなの部屋もすでに掲載済だそうです」
「ふーん」
「あのアパート、取り壊されちゃうから、これもいい記念というか、思い出になるかと思って」
「みんなは次のところ決めたのか」と野田さんが言ったとき、私たちがオーダーしたオムライスが運ばれてきた。

ウェイトレスさんが野田さんをチラ見しながら名残惜しそうに立ち去るまで、私たちは無言だった。

野田さんってば、ここでも何気に注目浴びちゃって。
仕方ないなぁって感じの苦笑を浮かべながら、テーブルの向かいに座るイケメン男を見ると、「なんだよ」という低音ボイスが返ってきた。

「・・・野田さんって、自分がモテるって自覚、ありますか」
「あー。ま、それなりにな」と、野田さんがアッサリ認めたので、私はつい笑ってしまった。

「モテるって自覚はあるが、全盛期は過ぎたぜ」
「そ・・・なんだぁ。ハハハッ」
「だが俺は、今まで真面目に恋愛してきたつもりだし、これからもそのつもりだ。だからよろしくな、なっちゃん」
「は・・・あ、はぃ。こちらこそ・・・」

なんか、急にそんなこと言われると・・・照れる。

私は気持ちうつむくと、コホンと咳払いをして、オムライスを食べながら、さっきの野田さんの質問に答え始めた。

「悦子さんは12月まであそこにいるそうです」
「で、彼んとこに行くんだよな」
「そうそう。で、ヒロミちゃんと幸太くんは、もう物件見つけたって言ってた。漫画家のヒロミちゃんは、自宅が職場になるのと、漫画を描く時間が不規則で、大工の幸太くんは朝早いから、とりあえずそれぞれ別に部屋を借りるけど、隣同士だって」
「幸太って大工なのか」
「はい。私が部屋づくりをしていたとき、現場の廃材を使って、棚とかコートをかけるフックとか器用に作ってくれたんですよ。それ、雑誌にも載ってるから、ぜひ見てくださいね」
「ああ・・・」
「なにか」
「ぶっちゃけ、今は見てえのと見たくねえのと半々だな」
「えー?なんで」
「おまえがいない間、おまえの部屋見て元気出そうと思いながら、おまえが帰って来るまで、中は見ないほうがいいのかもしんねえとも思ってる」
「のださ・・・」
「願掛けみたいなもんだ。それによ、雑誌で見るよか、実際おまえの部屋に行くまで楽しみにとっとくのもいいじゃんか」

泣きそうになった私が顔をうつむけると、野田さんの大きな手がスッと伸びて、スプーンを持ってる私の手の上に重ね置かれた。

「ま、どっちにするかはまだ決めてねえが、これはおまえも持ってんだろ?」
「・・・うん」
「じゃあおそろいだな。大事にとっとくぜ」と野田さんに言われた私は、コクコクと何度かうなずいた。

「・・・あのね、野田さん」
「なに」
「あの人、私がどこに住んでるのかも知らないと思う。調べてるかもしれないけど、でもあの人をあの部屋へ招いたことは一度もないから。って野田さんはそういうこと、別に聞きたくないかもしれないけど・・・」
「知りたかった」
「野田さん・・・」
「マジで」と野田さんは言うと、ニッコリ私に微笑んでくれた。

「さ、オムライス食おうぜ」
「はいっ」



そしてオムライスを食べ終えた私たちは、食後のコーヒーを飲みながら、おしゃべりを続けた。

「おまえの留守中、部屋の管理はどうするんだ」
「郵便物のチェックはクリスティーナとヒロミちゃんがしてくれる。クリスティーナは部屋の掃除もしてくれるから、鍵預けてるし」
「俺がしなくてもいいのか」
「ううん。いつまでかかるかホント、分からないから・・・そこまで野田さんに頼めない」
「でもアパート取り壊されるんだろ?荷物、俺んちに運んどいたほうがいいんじゃねえか?」
「そのときはヒロミちゃんが預かってくれることになってる。それに、まだ別れることができてなくても、その前に一度はこっちに帰ってくる」
「・・・そっか」
「だから野田さ・・・」と言いかけた私を遮るように「なつき」と野田さんが言った。

「・・・はい」
「あっち行ったら、逃げ道だけは必ず確保しろ」
「・・・え?」
「だんなから肉体的だけじゃなく、精神的にも暴力をふるわれたら、必ず逃げろ」
「あ・・・」
「一度だ。いいな?一度受けたら必ずだぞ。そんとき離婚が成立してなくてもだ」と言う野田さんは、すごく真剣な顔をしている。

正直、私はそこまで考えていなかった。
つき合ってた頃も、一緒に住んでたときも、あの人は私に暴力をふるったことは一度もない。
というよりあの人は、暴力とは真逆の、すごく温厚で優しい性格をしてるから。
でも・・・別居している間に、もしかしたら性格が変わって・・・可愛さ余って憎さ百倍って言うし。

私は、恐怖に体を強張らせながら、かろうじてコクンとうなずいた。

「暴力に限らず、おまえはその場に留まる必要はない。耐えられなくなりゃ、また出りゃいい」
「う、ん・・・」
「とりあえず、これ渡しとく」と野田さんは言うと、封筒を私の方へ滑るように差し出した。

「これは・・・?」
「現金」
「えっ!」と言いながら封筒を手に取った私は、恐る恐る中身を見た。

うわ!ホントに札束が入ってる!

「野田さ・・・」
「いざというときの備えだ。50万しか入ってねえが」
「え。え、でもそんな・・・」
「どうしても必要になったときにそれがあるって分かってるだけで、安心するだろ」

・・・確かに、野田さんの言うとおり、備えがあれば憂うこともない。
逃げ出さなきゃいけなくなった状況に陥っても、50万円あるって分かっていれば、すぐ逃げ出せる。

私は封筒をギュッと握ると、「ありがとう」と野田さんに言った。

「これ、本当に必要になったときに使わせてもらいます。後で必ず返すから」
「てか使うことになる前に、俺んとこに戻って来い」
「・・・うん」
「それはおまえのへそくりだからな。絶対だんなには知られるなよ」
「あ・・・はい」

あの人はお金に困ってはいないけど、私が「逃亡資金」を隠し持ってると分かれば、それを没収する可能性は十分ある。

「それから・・・これもあげとく」と野田さんは言うと、名刺を一枚、私にくれた。

「ん?野田和人・・さんって、野田さんのお兄さん?」
「一番上のな」

前、お兄さんの職業は言えないと野田さんが言ってたことを思い出した私は、「警視庁特別捜査官」という肩書を見て、「あぁそれで」とつぶやいた。

「なんかあればそこの番号に連絡してもいいって、兄ちゃんに言われてっから」
「え。てことはそのぅ、私のこと、お兄さんたちに話した、の」
「兄ちゃんたちだけじゃねえ。家族みんな、おまえのこと知ってるぜ」
「うっそぉ」
「そのうち会わせてやるっておまえに言ったろ?」
「そ、それは・・・結婚してるって私が言った前の話で・・・」
「俺はおまえとのこと、マジだからよ」
「野田さん・・・」
「本音言うと、おまえと一緒にだんなんとこに乗り込みてえが、余計話がこじれるからやめとけって、家族全員に止められた。ま、とにかく、兄ちゃんの場合、実際事件が起こった段階じゃなきゃ、刑事としての職権を使うことはできねえ。できればそうなる前にカタつけてほしい。無事に、無傷で」
「うん」
「その名刺も、へそくりと一緒に隠しとけよ」
「うん」と返事をした私は、スマホにお兄さんの番号を登録すると、封筒の中に名刺を入れた。


< 23 / 46 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop