13inch 路上のルール
中央公園
初めて買ったCDはQueenのアルバムだった.古い洋楽を教えたのは自分なくせに いざ買って帰ると父は驚いていた.
大好きな父にくっついて職場である岬へ向かう道中 車の中でずっと聴いてたからね.そりゃ覚えるよ.
もしくは港で船の手入れをしているかたわらで ローラースケートで遊ぶか 父のフォークギターを触らせてもらっていた.そりゃ好きになるって.
古い洋楽を歌う事 海の動物の絵を描く事 父は誉めてくれた.
「将来は絵描きさんかな」とか「エミはお父さんの仕事を継いでダイバーだな」なんて言われては得意げになっていた.

でも同い年の女の子達の中では・・・小学生ではよくある 女の子の作るグループには入れなかった.SMAPやSPEEDがすごく流行ってたんだけど ミュージックステーションとか観てなかったから・・・
あ でもスピッツは何曲か知ってる.クラスの仲良かった子がよく歌ってた.
周りの子達みたいにジャニーズの話できゃーきゃー言えなくて 寂しい思いもしたかもしんないけど でも覚えてない.

とにかく趣味や特技はすべて父の影響だったんだけど そんな大好きな父は わたしが中学に上がった頃 家を去った.

中学生のわたしは音楽の趣味を広げ MixtureやHip-hopも聴くようになる.海へ行く機会がなくなった今 音楽に傾倒するしかやりたい事がなくなってしまったんだ.
ローラースケートもインラインスケートへシフトして 夜のジョギング代わりに海岸線を滑走させた.
絵はというと まったく描かなくなった.

音楽の話ができる女友達はすごく少なかったんだけど・・・【マチちゃん】は唯一 学校の外でもよく遊んだ子.
マチちゃんとは音楽の選択授業で ギターを選択した事で意気投合.2年生になってからは「ゆずになりたい!」というマチちゃんの希望のもと 地元の駅前で いっしょに路上ライブをするようになった.

マチちゃんの見ためと言えば ちょうど「コギャル」とか「ヤマンバ」なんて言葉ができはじめてきた時期だったんだけど まぁそんなカンジだった.一方のわたしは スカートは短すぎず長すぎず 遅刻も部活早退もよくするけど 授業はマジメな ごく普通の生徒だった.

「2人はなんで仲いいの?笑」学校でもライブ先でもよくそう言われたもんだ.雰囲気も性格も交友関係も家柄も すべてが違っていたからね.
マチちゃんちはヤクザ屋さんで お母さんのパブの従業員旅行で 一緒に東京へ連れて行ってくれたぐらい わたしの面倒までみてくれた.そして ご両親と自分とは よくABBAの話題で盛り上がった.ライブにもよく来てくれた.あの小さなライブハウスにヤクザ屋さんが入ってきた時の ほかのお客さん達の引き様といったら・・・.

中学生の しかも女の子がフォークソングを弾き語りしようものなら 帰路を急ぐスーツ姿のおじさん達は確実に足を止めてくれた.週末の夜は早くもほろ酔いのお父さん達が楽しそうに聴いていってくれて おひねりという名のお小遣いが置かれていった.

はじめのうちは友達のフォークギターを借りて路上に立っていたけど おひねりを折半し合っていくうちに貯金が増え 自分のギターを買うことができた.
家での練習量も増え 演目も増え するとおひねりも増える.そのお金で楽譜やブルースハープもまた新調していけた.好循環だ.
ちなみにマチちゃんは タバコ・服・化粧品代と 日頃から出費が多い.これが路上ライブの味をしめさせてしまった最たる要因ね.女の子なんだから出費が多いのはわかるんだけど タバコは体に悪いらしいし ニキビのためにも止めたほうがいいよと言ってみてはいた.まぁ理由はどうであれ 路上に立つこと自体には積極的なまま 1年目を迎える.

地元の【港町】駅前は 地下道かロータリーか 路上ライブのレパートリーは2つだった.
地ベタに座って いつもより低い目線から通りすぎていく人たちの足並みを伺いながら歌う.歌のテンポと足並みが揃えば その人たちの耳へ届いている証拠なんだよ.2人で「おっ あの人ノリノリだね 嬉しいね」なんて目を合わせあって密かに楽しんだ.
自分の得意な古い歌と 地方ではかなり目立つマチちゃんのガン黒ギャルキャラで 今週末もかなりの収入.

だけど ある初夏の夜.この夜はいつもと違う出来事が起こる.
ロータリーで歌っていると 目の前にImpalaが停まった.・・・'61だ!って内心びっくり.Hip-hopのドキュメンタリーに出てきそうな 車高が低くてピカピカの スカイブルーのアメ車.
降りてきたのは2人の若い男の人で なんやら酔ってる様子.(この頃は飲酒運転に対しての規制も認識も甘かった)
助手席の色黒のおにいさんに【アズマ】と呼ばれていた 金髪でモヒカンの運転手がヨロヨロ近づいてきて 自分らの目の前にしゃがんだ.そしてギターケースに万札を入れると また車に乗って行ってしまった.
「きゃーっ おにいさんイケメーン!ありがとー!」
マチちゃんは狂喜している.折半だから取り分は5千円.よく万札を置いていく景気のいいおじさんはいるけど 自分は酔っぱらいになにも言わずに置いていかれるのは なんか腑に落ちなかった.
自分は万札を掴んで走った.たぶん酔いが醒めたら あのアズマさんとやらは後悔するだろうし この狭い田舎町の事だもん いつかばったり出くわして返せなんて言われたくもなかった.マチちゃんははるか後ろの方で
「え―っ もらっとこうよ―っ」
って呼ぶんだけど そんな気には到底なれないだろ.
どうやらすぐに左折しちゃったんだろうね '61はもういなかった.
でも冷静によく考えると 自分はなんて言って返すつもりだったんだ?「ナメんなよ」?「お気持ちは嬉しいですが」? どっちも微妙だ・・・.そう思いながらトボトボ帰ってくる自分を見て マチちゃんは「よっしゃ!」みたいな顔をした.

その夜の帰り道 とてもタイムリーなトラブル発生.
マチちゃんのケータイが鳴る.相手は2コ上の先輩.マチちゃんはこの頃から地元のレディースに入ってて 自分と共通のつながりのほかにも また別の行動範囲を持っていた.
「連合側の女がさらわれて見つからないんだよ 探すからマチも来な」
23時をまわった頃だったから まだ終電で間に合う.
つまり電話の内容はこうだ.
マチちゃんとこのレディースと この夏に連合を組む予定の横浜のチームがあるんだけど そこの頭の彼女さんが仲介する事になってたんだ.その彼女さんが横浜・元町で行方不明なんだとか.
そのころはまだ ケータイ持ってる人は クラスに1人いるかいないかぐらい少なくって インターネットだとか漫喫だとかもない時代だった.トラブルがあると まず「人手」の時代だった.
「行ってきなよ」
自分は両替前の万札をそのままマチちゃんに渡した.

数日後 地元でもインディーズネタを多く仕入れている服屋さんに行った.
BMXで この港町で一番大きな川【港川】のむこう側へ.スプリングやサスがないから これがけっこうおしりにくる・・・でも長距離の移動には不向きでも これは小学生からの貯金や 毎日のお小遣い500円(中学校の昼食代)からコツコツ1年貯めて買った自分の愛車.
こちら側の音楽の趣味はマチちゃんと別なんで 1人行動だった.服屋さん【BOX】に着くと ミックステープのラックを探る.フリーペーパーのRiddimが手に入るのも 町ではここだけ.
東京の渋谷という街では カッコいい大人達がカッコいい音楽を作っているらしい.クラブという ライブハウスとはまた違った大人の遊び場がすごく盛り上がってるらしい.新譜情報や まだ知らないジャンルなんかを探り 帽子コレクションも1つ買い足す.
この日もBOXスタッフさん達と世間話をしてから店を出ると 目の前に(車両進入禁止の商店街なんだけど)あの'61が停まった.
「あっ アズマ!・・・さ・・・ん」
金髪モヒカンの運転手は振り向くと びっくりした顔のすぐ後に でへへって笑って顔をそらした.助手席にはこないだとたぶん違う男の人がいて アズマさんの肩をガンガン殴った.
「おぃアズマてめぇ この子若すぎんじゃねーか」
「いや違うの違うの!手ぇ出してない!この子はほらっ こないだ話した弾き語りの・・・」
アズマさんとやらが自分を知っていたらしいとかいう前に しまった!と思った.まさかの'61と再会した驚きで名前を口走ったけど アズマさんと話したいわけじゃなかったんだ.だってもうあの1万円はないんだから・・・.
でも会話がはじまってしまった以上 気まずくて話さずにはいられなかった.

事の顛末を話すと「マジメだなぁ」と言って2人は笑った.
「俺こそ困らせちゃったのゴメンな!前々から見かけてたからさ あん時は酔った勢いでつい絡んじまって笑」
こちらこそ せっかくの気持ちを今後の音楽活動のために有効利用できずに申し訳ないと謝った.ライブでもらったお金は極力ライブで使わせてもらいたいのにと伝えた.
「ヤバぃ!この子ホントにマジメじゃん!」
シンジさんは気に入った!と肩をポンポンしてくれた.
聞くとアズマさんと そしていっしょにいる【シンジさん】という人は19歳だとか.わたしも19になったら こんなに寛大になれるのだろうか・・・と感心した.中学生で15歳のわたしにとって 1万円は大金すぎたから.

「それでエミ・・・行方不明の女はどうなったの?」
「うん なんかクスリづけになって川に捨てられてたみたいで.片手に豚足握ってたそうです」
「「横浜怖えぇぇぇぇ」」
わたしにはこの一件で 横浜はすごく治安の悪い町で 豚足は中華料理であるという勝手な思い込みを持った.
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