マネー・ドール
最後の夜
「ここで、寝ていい?」
白いバーバリーチェックのパジャマで、ふわふわの靴下を履いた真純は、目覚まし時計と、スマホを持って、入り口に立っている。
「うん」
真純は、恥ずかしそうにベッドに入って、枕元に目覚まし時計とスマホを置いた。俺達は、なんとなく照れくさくて、少し離れて座った。

「今日ね」
真純は俯いて話し始めた。
「部下の子がね、うつ病で休職することになったの」
「そう、大変だったね」
「それでね、お家の人にね、迎えに来てもらうまで、田山くんのところにいさせてもらったの」
「うん」
「パーティの後ね、私、田山くんの家に行って、その子のこと、見送ってね」
「それで、遅かったんだ」
「それでね……」
俺は、その続きを聞きたくなかったけど、真純は一生懸命話そうとしていたので、黙って聞くことにした。
「田山くんね……好きだって、言ったの……私のこと」
そんなこと、俺はだいぶ前から知ってたよ。
「十年、一緒に仕事してたのに、全然気づかなかった」
「そう……」
「……キス……したの」
「うん」
「慶太と付き合って、初めて、他の人とキスしたの」
「……うん」
「私ね……田山くんに、そんな無理しなくていいって言われて……泣いちゃったの……慶太とのことも、言われて……」
「なんて?」
「うまくいってないって、噂がたってるって……」
「そうなんだ……」
「私、なんかもう……寂しくて……田山くん、私のこと、慰めてくれようとして、ベッドにね……でもね……目を閉じたらね、慶太のことしか、考えられなくてね……」
俺も……そうだったのかもしれない。他の女を抱いても、満たされないのは、真純のことしか考えられなかったからなのかもしれない。
「何も、しなかったの」
「わかってるよ」
「ごめんね」
俺は右手で真純の左手を握った。真純の手は、痩せていて、冷たくて、ピンクとベージュに塗られた爪には、ラインストーンが光っていて、布団カバーに、涙が落ちて染み込んでいく。
「いいんだよ」
俺は、もう何回もお前を裏切って来たよ……本当に……こんなに辛いんだな……お前はずっと、こんな思いしてきたんだよな……ごめんな、真純。本当に……傷、つけてきたな……
真純は俺の肩におでこをつけて、俺は左手で真純の肩を抱き寄せた。真純の髪からは、風呂場と同じ甘い匂いがして、なんだか、二十年前の、あの花火の夜に戻ったような気がした。
「キス、していい?」
「……うん」
真純は顔を上げて、俺は真純の涙を拭って、俺達は見つめあって……十四年ぶりのキスをした。近くで見た素顔の真純は、目元に少し小じわがあって、薄いシミも少しあって、頬が痩けている。
 そして、あの花火の夜のキスみたいに、真純の……味がした。
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