やわらかな檻
雨の中、ふたり
 それはまだ、愛に憎しみが混ざらなかった頃のおはなし。



「……どうして」


 荒く息をしながら問い詰めた。

 肩にかけた中等部指定の通学鞄が下にずれ、空いている片手でそれを直そうとすると美しい指先が押し留めた。

 抵抗せずにいると、持ち手を引っ張った慧が当然のように鞄を引き受ける。


 傘を差していても多少は濡れたようで、みどりの黒髪から小さな雨粒がひっきりなしに落ちてピロティの床を濡らしていた。

 ホームルーム終了後、教室の窓から姿が見えて、まさかと思いつつも誰よりも早く昇降口にたどり着いた。

 ガラスのドアに遮られた向こうに、見間違いでも幻でもなく、傘を畳む慧を見つければ慌てて靴を履き替えドアを開けて、今に至る。


「見れば分かりませんか。迎えに来たんです」


 雨の音で声がかき消されたわけでは無いらしく、慧は首を捻り、答えるのに数秒かかりながらも平然としていた。

 もちろん『どうして』は何故ここに慧がいるかではない。
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