ありのまま、愛すること。

母の笑顔

父の会社の羽振りがよかったおかげで、10歳まではとても裕福な生活をさせてもらいました。

非常に高価なカラーテレビが家にあり、町内ではウチだけというのも自慢でした。

夕刻、野球中継が始まれば、近所中の人がわが家に集まってきたものです。

大人たちはコップにビールを注ぎながら、芝生が青くきれいに映る画面に向かって、ある人は声援を、ある人は野次を、口々に飛ばしています。

その大人たちは「近所に住んでいる」ことだけが共通項で、出自も地元の人がいれば、よそから越してきた人もいた。

職業も、近所のガラス屋さんがいれば、定食屋のおじさん、学校の先生も訪れた。

年齢も職業もバラバラな人たちが、バカ笑いをしてわが家に集ったんです。

子どもたちはその後方で、ある子は大人に混じり瞬きもせずに画面に集中している。

また父親に連れられてきたある子は、テレビは最初から眼中になく、よその子とメンコに興じています。

私の母はというと、仕事を終えて家に帰っている夜ならば、酔客の大人たちを上手にもてなし、子どもたちには柔らかい微笑みをもって接していました。

私はそれを、誇らしく思うと同時に、母をここでは独占できないことに、ちょっと嫉妬したのを覚えています。

そう、おそらく生まれて初めてのジェラシーだったのでしょう。

父は野球が好きで、読売ジャイアンツのファン。

それにはきっかけがあって、明治乳業のCMを父が担当した際、王貞治選手(当時)を起用したことで、そこからファンになっていったんだそうです。

当然、その影響で私も巨人ファン。

でも私は、長嶋(茂雄)選手派でした。


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