抹茶な風に誘われて。

Ep.5 野点

 一期一会、という言葉を知っているか、静。

 もともとは茶の湯の教えを説いた言葉で、『一期』とは一生、『一会』とは一度の出会いという意味だ。

 今日の茶会と全く同じ茶会は二度と開くことができない。

 だから茶会は常に人生で一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くすべし――その茶会の心得から、広く人生一般を指して言うようになった言葉なのだよ。

 人と人との出会いは一度限りの大切なものだ、ということだな。

 だからお前もこういった基本精神を忘れずに、茶の湯に勤しめ、静よ――。
 

 そう言った父はとても穏やかで、落ち着いた顔をしていた。

 あの時の静かな瞳には一筋の嘘いつわりもなく、父の点てた茶は見事だった。

 なぜ、とそう思ったものだった。

 そんなに立派に教えを説き、心を落ち着けて自分の茶を点てられる人が、なぜ最後まで気づいてくれなかったのだろう。

 ただ優しく抱きしめてくれることを、ただ愛を与えてくれることをこそ、母は待っていただけなのに。

 もっと、近づきたかっただけなのに――。

 母の泣き顔が、幼い自分の顔に変わる。

 そう、本当は待っていたのは自分なのだ。

 誰よりも自分が、ただ愛されることを望んでいた。

 もし、母が死んでいなかったら。

 もし、自分が父を許せていたら。

 何かが変わっていただろうか。

 今頃どうなっていただろうか。

 全ては仮定でしかないけれど、こんな年になってから、なぜか最近そう思うのだ。

 そうすれば今の自分は『孤独』ではなかっただろうか、と。
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