七夕の出逢い

02話 隠れ蓑

 検査室へ行くと、ひとりの女、看護師が声をかけてきた。
「芹沢先生!? 今日はお休みじゃなかったんですか?」
「気になる患者がいたのでその様子を見に来ました。それから、急遽、紫先生の妹さんを診ることになりまして」
「真白様……ですか? それとも紅子様?」
 妹はふたりいるのか……?
「真白さんです。先ほど初めてお会いしたのですがとても綺麗な方で驚きました」
 答えると、女が奥歯に強く力を入れたのが見て取れた。そして、
「それでは検査準備は私にやらせてください」
 俺はその申し出を断った。
 週に何度か何かしらに誘ってくる女。たいていがランチや夕飯や飲み――統計上八割方が夜の誘い。
 好意とも媚ともとれるその態度が面倒でならない。
「自分は非番です。よって、私につく看護師はいないはず。笠原(かさはら)さんだって暇ではないでしょう? ほかの医師につかなくてはいけないはずですが?」
 女は、「ふたりくらい掛け持ちできます」と食い下がる。
「それでは私が落ち着きません。私こそ、ひとりの患者しか診る予定がないのですから、検査準備くらいひとりでできます。気遣いは無用ですよ。さ、ご自分の持ち場に戻られてください」
 そこまで言うと、女は渋々検査室から出て行った。
 身体を差し出せば男が誰でもなびくと思うな。むしろ、その明け透け過ぎる態度が気に食わない――

 内科の診察を済ませた彼女が検査室に現れたのは三十分ほどしてからのことだった。
 さすがは会長令嬢と言うべきか、診察時間を待たされることなどないのだろう。
 彼女は、
「お休みのところ、本当に申し訳ございません」
 低姿勢で検査室に入ってきた。
「いえ。ひとり診るもふたり診るも変わりませんよ」
 俺はいつものように淡々と答え、内科でするはずの血液検査の用意を済ませる。
 採血管にラベルを貼り終え、女の腕を見るなり「採りにくい血管」であることに気づく。
 これは直針では難しいかもしれない。刺し直しをするくらいなら最初から翼状針を使ったほうがいいだろう。通常なら肘正中皮静脈から採るところだが、触れた感じだと尺側皮静脈……。
「採血ではいつもどのあたりに刺されますか?」
「確か……いつもここから採っていただきます。採れないときは手首から……」
「わかりました。ありがとうございます。因みに今日は血圧など測られましたか?」
「はい。九十の六十でした」
 脈圧が三十もあれば十分だろう。
「では、少しちくっとします」
 女の細い腕に針を刺すと、間もなくしてカテーテルに血液が上がってきた。
 普段採血をする機会は少ないし、血管が細く逃げやすい患者の採血は、ベテラン看護師ほどには慣れていない。
 胃カメラよりも緊張する、などと思いながら血液採取を済ませた。
「はい、終わります。針を抜いたらしっかり押さえていてください」
 自分が押さえていた消毒綿に女の指先が触れたとき、先ほどと同様に「冷たい」と感じた。
 採取した血液を真空管に移し終え、それらを検査室に回すように、とだけ看護師に指示を出した。

 今度こそ胃カメラの準備に入る。
「胃カメラは前にも何度かやっているみたいですが、確認の意味もありますので説明しながら進めます」
 女は観念したらしい。小さく、「はい」と答えた。
 腸の働きを止めるための注射を打ち、スプーンで口の中に麻酔のゼリーを入れる。それが終われば喉に麻酔のスプレーを吹きかける。
 どれも不快と感じるものだろうに、女は眉をひそめる程度。それらを従順に受け入れていた。
 しかし、先ほどまでは青白かったその顔が、若干赤味を帯び始める。
「……熱もあったりしますか?」
 訊くと、女は目を見開いた。
 首を振ろうとしたのか、急に咽始める。
「もうすでに喉の奥まで麻酔がかかっています。飲み込まずに出してしまいなさい」
 女はコクリと頷き、俺の言うとおりに口に残っていた麻酔ゼリーをトレイに吐き出した。

 検査を始めてすぐ、荒れた胃壁が目に付いた。
 すでに糜爛びらんの域を出ている。パッと見ただけでも浅い潰瘍と中位の潰瘍が見て取れた。
 それから過形成性ポリープが三つ。どれも赤く、出血が見られる。
 念のため病理検査には回すが、良性で間違いないだろう。この程度なら薬で治せる。
 十二指腸のほうも見たが、そこはとくに異常はなかった。
 検査を終え、カルテに検査結果を入力する。
 カルテには十六歳のころから鉄欠乏性貧血と書かれていた。その原因は、いずれも消化管にある。そして今回も――
 名前を呼び診察室へ通すと、女はしばし空間全体を目にしたあと、俺をじっと見つめた。
 本人には見ているという意識はないのかもしれない。意思のある目には見えなかった。
「……さて、真白さん。私の顔をぼうっと見ていらっしゃいますが、何かついていますかね?」
「え……?」
 女ははっと我に返り、すみません、と謝罪を口にした。
「色白」というのは、こういうとき不便なものだな。頬が上気したのがすぐにわかる。
 あまりにも居たたまれなさそうにしている様に、少しの情けをかけた。
「いえ、結構ですよ。さほど珍しいことでもありませんので」
「あの……やはり、ほかの患者様も芹沢先生のお顔に見惚れるのですか?」
 目をくるっとさせて訊いてくる。
 意外だった。あまり思ったことを口にするタイプではないだろうと思っていたところ、こんなことを訊かれるとは――
 ……面白い。
 俺はそのまま会話を続けることにした。
「あなたは私に見惚れていたのですか?」
「あ、いえっ……そのっ――」
 自分で振ったくせに、問い返せば慌てふためきしどろもどろになる。
 この先の会話は続かないだろう。
 そう思って、検査の結果に話を戻した。
「先ほど検査中にも申しましたが、こことここ、出血してますね。それと、ポリープが三つ」
 検査結果をモニターに映し出し、それを見せながら説明する。
「念のため組織検査に回しましたが、見たところ悪性ではないでしょう。投薬治療で治せます」
「……ありがとうございます」
「医者として助言するならば、ストレスを回避するように……ですが」
 女のストレスは「見合い」なのだろう。さっき、藤宮医師がそのようなことを言っていた。
 俯きがちな女を見ていると、視線を感じたのか顔を上げる。
「お見合いを断るのには理由が必要ですか?」
 俺の言葉に女は驚いた顔をしたが、すぐに表情を改める。
 頭の回転はそこまで悪くないようだ。
 今までの会話を瞬時に思い出し、何をもって「見合い」という言葉が出てきたのかを悟ったのだろう。
「そうですね……。何かそれらしい理由があれば良いのですが、私にはこれと言えるものがありませんので、ひとつの縁談をお断りするのに何度かお会いすることになります。一度でお断りできる術を早く習得すべきですね」
 最後は、控えめすぎる笑みを添えた。
 この女はこんな顔しかしないのだろうか……。
 自分も表情が豊かなほうではないが、目の前にいる女は、ひたすらに自分を殺そうとしているように思えた。
 俺が笑みを作るとき。それは、その場しのぎであったり何かをかわすための常套手段に過ぎない。が、この女はその場に応じて自分を殺す。
 看護師の前でも兄の前でもしかり。今日会ったばかりの医者の前でも……。
 何をそんなに抑えこむ必要があるのだろうか?
「令嬢」なんてものは、なんの苦労もせずバカみたいににこにこ笑ってる生き物だと思っていたが、この女はそれに当てはまらないようだ。
 俺がこの女に興味を持ったのは、そんなどうでもいいようなことがきっかけだった。
「それでは、理由を作りましょうか」
 俺は女に提案する。
 女は不思議そうな顔をして、「はい?」と首を傾げた。
「あなたの胃が治るまで、私が交際相手になりましょう」
 自分がそんな申し出をするとは考えてもみなかったわけだが、口にしたあとで色々と都合がいいことに気がついた。
 その前に、女を納得させないといけないわけだが……。
「あの、そこまでしていただかなくても……」
「迷惑」と訝しがる様子は見られず、「申し訳ない」という感情が全面に出される。
 先の看護師、笠原とはえらい違いだ……。
「真白さん、先月のお見合いの件でここまで胃が荒れたのだとしたら、それはかなり早いペースで出血まで辿り着いてしまったということです。通常なら、糜爛の状態でもおかしくないはずのところをね」
 女は何も答えない。
 ただ、きゅっと唇を引き結び、視線を床に落としていた。
「いやなら断ればいいんですよ。お見合い相手のように。それで私が何を損するわけでもない」
 ……確かに損はしないが、多少利用できるとは思ったんだがな。
 総合診療部長が出てくるとなると、いささか面倒な事態ではある。が、藤宮真白と交際しているともなれば、そんな話は瞬時に消えるだろう。
 俺にはそんな下心があった。
 女の声が思考を中断する。
「お名前をお借りしてご迷惑にはなりませんか……?」
 ――申し出を受けると言うのか?
 俺は心の中でほくそ笑む。
「迷惑? どちらかというなら利害一致ですよ。看護師や医療事務の女性たちに飲み会やら何やらと誘われるのには辟易してますからね。交際相手があなただと知れれば誰も寄って来なくなるでしょう」
 一応、この女も藤宮の人間だ。内部の話はしないほうがいいだろう。
 そう思って、周囲にいる女を例にあげた。
「……そう、かもしれませんね」
「それでは、契約成立でよろしいですか?」
「はい……」
 気の変わらないうちにと、畳み掛けた節が否めない。
「申し訳ございませんが、どうぞお付き合いください」
 紫先生とはまた違った意味で「藤宮」の人間には見えない女だった。
 ほんの少し良心の呵責を感じ、「Give and take」などと口にしてみたが、自分に良心などあるのかすら怪しい。
 ただ、目の前の女を見て、こんな性格じゃ胃潰瘍にもなるだろう、と思った。
「あなたが気に病む必要はない」
「えぇ、でも――」
 女が何を気に病むのかは理解しがたいが、話はこのまま進めさせてもらう。
「次の診察は来週の土曜日でいいですか?」
「はい、大丈夫です」
「それではご自宅にお伺いしましょう」
 女は今はまでとはまったく異なる顔をした。まるで、これ以上にないほど驚いたとでも言うかのように。
 なんだ、そんな顔もできるんじゃないか……。
「ご両親にご挨拶をしなくてはならないでしょう? お付き合いするのですら、許可を得なくてはいけないお家柄かとお見受けしますが?」
 ほかにはどんな表情を見せるだろう。
 そんなことが少し楽しく思えてきた。
 自分を押し殺す女が見せる表情、というものが……。
「まずはそこからですね」
 話を区切り、自宅の電話番号を書いたメモ用紙を渡した。
「私の電話番号です。何かあればかけてきてください」
 女はじっとそのメモ用紙を見つめていた。
 何の変哲もない数字の羅列と、自分の名前のみが書かれたメモ用紙を――



「芹沢くん、本家の真白を診たと聞いたが……」
 総合診療部長が直々に俺のところまで来るとはな……。
「えぇ、たまたま通りすがりに具合の悪い患者がいまして、声をかけたら藤宮真白さんとのことでした」
「いい女だったろう?」
 この男も下卑た笑みを浮かべる。その顔を見るだけでも吐き気をもよおす。
 医者なら医者らしく自分の食生活にも気を遣って、その体型をなんとかしろと言いたい。
 欲が体型に表れてるといっても過言じゃない。そのくらいにでっぷりと太った人間だった。
「そうですね、とても綺麗な方でした」
「胃カメラじゃ身体は拝めなかったか」
 そう言って笑うこの男が本当に医者であるのか、と疑わずにはいられない。
「藤宮」という一族には本当にろくな人間がいない。
 それが俺の印象だった。
「あれは一族の宝とも呼ばれていてね、狙う男も多いが何度縁談を持ちかけても首を縦に振らん頑固な女だ。とっとと婚約でも結婚でもすればいいものを――あれが独り身のうちは一族の男どもが一向に片付かん」
 なるほど……。一族内外の男に狙われている「お嬢様」ね。だから、俺に迷惑がかかることをあそこまで危惧していたのか?
 どうやら、俺が思っているほど「お嬢様」という生き物はのうのうと生きられない代物らしい。ならば、その生態をもう少し詳しく観察してみようか。
 お嬢様、まずは俺の隠れ蓑になっていただきましょうか? そしたら自分はお嬢様の隠れ蓑となりましょう。
 顔には出さないように……と思っていたが、少々失敗したらしい。
「何を笑っている?」
 にわかに剣を含む声をかけられる。
「いえ……部長の気苦労が早期に解消されることをお祈りしております。私はオペの時間ですので……」
 本題に入られる前にずらかろうと試みたがそうはさせてもらえなかった。
「芹沢くん、土曜日を開けておけ。相手の写真だ」
 ずい、と押し付けられたのは白い表紙の、仰々しいA4ファイル。
 中を見ずともわかる。見合い写真であろうことが。
 俺はそれを手にすることなく断った。
「大変申し訳ないのですが、土曜日は先約がありますのでまたの機会に」
「先約などキャンセルしたまえ。相手は頭取の娘だぞ? 来年大学を卒業する。若くて綺麗なお嬢さんだ」
「申し訳ございません。キャンセルできるものではございませんので」
 俺は時計に目をやり、
「オペに遅れるので失礼いたします」
 と、その場をあとにした。
 威圧的で野太い声が後ろからかけられる。
「そうか。じゃぁ、これは速水(はやみ)くんに回すかなぁっ?」
 速水とは、先日消化器内科長の金魚の糞をしていた男のひとり。俺を睨みつけ舌打ちした男だ。あの男なら飛んで喜ぶだろう。
 俺は振り返り、にこりと笑みを浮かべ軽く会釈する。
「どうぞご自由に。上司の薦めでする見合いなど面倒なだけだ……」
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