最初から、僕の手中に君はいる

3 疑惑の確定


 翌週金曜まで、7日ほど誤差のない日は続き、総務の仕事自体もうまく流れていた。私と池内と秋元は主に、財務関係の処理が多いが、7月はそれほど忙しい時期でもなく、淡々と作業は進んだ。

 本日は、食事会の日。

 スーツの男性とは違い、女性はそれぞれ私服をロッカーに持ち運び、金曜日のアフターとなる。

「ちょっと、聞いて! 昨日彩さんにメールしようかと思ったくらい衝撃的なところ見ちゃったんだけど!」

 出社して朝の用事が片付いた午前11時半、池内は畑山が席を立ったと同時に目を見開いて、丁寧に塗った唇を大きく動かした。

「え、何です??」

 私もそれにテンションを合せる。

「昨日ね、帰りに営業の子と食事して話してたら遅くなってね。それから、携帯忘れたことに気付いて一旦ここに戻って来たのよ!

 そしたらさあ! 畑山部長! 企画部の新人に告られてたの!」

「へー!!!」

と、言ったが、まあそれほどショックでもないし、企画部の新人も誰だか知らない。

「もう私、ビックリしちゃってね。そんな現場に居合わせたの初めてだったんだけど!

 もう「付き合って下さい」って言ったのと、私が中入ったのと同時だったんだから!!」

「で、付き合うんですか!?」

「それがさあ、もう信じられないわ、部長の神経。

 『いや、そういうのは困るから』って、私がいる前で断ってるのよ!」

 と、いうかそれは、……やっぱり池内に気があることをアピールするためじゃ……? という予感が過る。

「へ、へえー……」

「リアクション薄いわね。あんまり興味なかった?」

「えっ、いえ、まあ……。なんかモテるってことは慣れてるんじゃないですかね、多分」

「モテ男って怖いわあ」

 のセリフと同時に周囲から大きな溜息が聞こえた。どうやら知らない間に昼休憩の12時がきたようだ。

「今の話、ちょっと聞こえたんですけど」

 背後から音もなく現れたのは、前の席にいたはずの、永井だった。

「内緒よ。内緒の話よ……。永井君今日ランチ?」

 池内は、少し困った顔をしながらも、笑って聞いた。

「僕コンビニです。冷蔵庫に入れてます」

「彩さんもコンビニよね。じゃあちょっと3人で話ましょうよ、そこで」

 という池内の提案で、デスクから少し離れた応接セットのテーブルで3人で食事をすることにした。運よく、今日は3人しか室内にいない。私と池内は隣にソファに座り、永井は池内と対面する形で腰かけた。

「でさ、というわけなのよ」

 池内はそれはそれは楽しそうに、永井に同じ話を繰り返したが、私は、畑山が池内を好きだという禁断の愛の妄想から離れられなくなってしまっていた。

「どう思います? 永井さん」

 私は相槌しかせず、しかも言葉に詰まったので、スパゲティを丁寧フォークに巻きつけて食べている永井の返事を待った。

「畑山さんは謎ですね。彼女いるのかどうかも分からないし。営業の先輩も、ずっと謎だって言ってました。本当は結婚してるんじゃないかとか」

「分かんないよねえ。私も、もう半年経つけど全く分からない。あんまり雑談しないしね」

「ま、部長ですからね」

 永井は自分のセリフに納得したのか、頷いて自前の水筒のお茶を飲んだ。

「藤沢さんはどうなんですか?」

 永井にふられたが、まさかここで池内さんが好きなんじゃないかとは言えず、

「うーん、私生活は謎ですけど……いつもつけてる香水は、あれ何ですかね? ちょっと甘い感じの」

「え、香水なんかつけてる!?」

 池内の髪の毛のパーマがふわりと揺れた。

「えっ、多分……体臭じゃないと思いますけど」

 匂いを思い返そうとしたが、さすがにもう無理だった。

「僕も知りませんね、そんな寄らないし」

「私も、一回くらいなんですけど、何かなあ、とか思って」

「へー、今度聞いてみてよ。そういうところから話広げないとね」

「えっ、僕がですか?」

 永井は池内を見つめた。

「得意でしょ、そういう雑談」

「なんかもっと、マシな話題だと……」

 永井は苦笑いで目を逸らした。

「香水って全然マシじゃない! けど、男同士だと不自然かしら?」

「ちょっとね……。あ、そういえば」

 永井はこちらを向いた。

「そえいえばこの前の小久保さんの誤差、畑山さんが結構小久保さんに怒ってましたよ」

「あそうなんですか……。一応ちゃんと言ってくれてたんですね。

でも私、いつも誤差してるんじゃないかと疑われてるんですよ」

「え?」

 きょとんとした顔で2人はこちらを見つめた。

「小久保さんの誤差、あれ、私が入力したんですよ。小久保さんに頼まれて3000って打っといてっていうからそのまま打ったのに、本当は3500だったんです。

で、部長に報告したら、入力するからにはちゃんと確認してね、でないとまた疑われるからって。私、疑われてたんですかね……」

「疑ってないない!!」

 池内は一番に否定してくれた。それだけでも随分心は晴れた。

「僕もそんな話は聞いたことないし、疑ってませんよ」

 永井にも期待以上の言葉をかけられて、ほっとした。

「っていうかね、誰が間違ったかわかんないようなシステムがダメなのよ。なのに、何で自分の思い込みで犯人決めるかなあ」

 池内が憤慨してくれて、嬉しくなる。

「誰か分からないと言えば、そういえば菅原さん」

 池内は楽しそうに話を続けた。

「ボールペン、新しく買うのはいいんだけど、全部電話機の横に置いて行くのよね。名前書いとけばいいのに」

「名前書くとなったら、他人の物にも自分の名前書きますよ、あの人なら」

 何十年も先輩相手なのに、永井の口調はやたら軽い。

「まあもう、年だしねえ」

 池内はその一言を残し、席を立つ。化粧直しが長いのはいつものことだ。

「今日食事会、行くんですよね?」

 永井はふんぞり返った座りを正しながら、こちらに向かって聞いた。

「うん、行きますよ。私服もちゃんと持ってきましたから」

 秋元の私服が見ものだなと思い出したと同時に、

「藤沢さんの私服、楽しみですね」

 思いもよらない一言に、顔を上げることができなくなった。

 えっと……。私服、見たことあったよね。今までも歓送迎会あったし。あれ? 何、急に……。

「あ、秋元さんの私服も楽しみですよね、えっと、甘ロリっていうんでしたっけ?」

 平常心を装って、話をどうにかずらす。

「ピンクの……」

 永井の顔は普通だ。今の言葉に何の意味もなかった可能性が高い。

「そう、ピンクのひらひらのふりふりの……」

 永井は思い出しながら表現しようとする。

「ヒールが全体的に高くて、帽子がナースみたいな……」

「ナース? ……メイドじゃないですか?」

「あそうか、メイドか」

 と、納得してはみたものの、35にもなって、そういう服を会社の食事会に普通の私服の一環として着て来るのだからかなり過激な個性派だ。

「畑山部長、初めて見るんじゃないですか?」

 永井は時計を気にしながら言った。私も、立ち上がりながら言う。

「どんな顔するのか楽しみですよね。私絶対顔見てようっと」


 そんな楽しい具合で食事会に臨めるはずだったのに。

 ウキウキで定時の5時に締める前だった。畑山が私を呼んだのは。

「ちょっといい?」

 こんな風に呼ばれたのは初めてだったが、どうせろくなことでないことは分かっていた。褒められるようなことなら、ちゃんと人前で報告する。畑山はそういう人だからだ。

 1枚のプリントを持ったまま、共用パソコンの前まで来ると、畑山は

「ちょっと座って、2週間前のデータ出してくれるかな?」

 誤差だと直感した。

「画面は素早く切り替わり、指示されたものがすぐに出て来る。

「えーと、もっと下スクロールさせて」

 畑山の顔が寄ってきていたが、そんなことはどうでも良かった。どんなミスを犯したのだろうと、マウスを握る手が汗ばみ、震えた。

「ここ。これ。1000円多いよね?」

 紙と見合わせて言った。

「は、い……。多いです……」

「藤沢さんが入力するの見てたから覚えてる」

「え……すみません……」

 自分が打った記憶は全くなかったが、上司の畑山が言うのだからそうなのだろう。

 頭の中には、「また疑われる」という言葉が巡った。

 疑われる、ではなく、これは犯人と確定されたという証拠でもある。

「すみません……」

 頭を伏せてもう一度繰り返したが、

「……気を付けてね」 

という、低い声しか帰って来なかった。

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