最初から、僕の手中に君はいる

4 左に部長、右に後輩の食事会


「元気だしなよ、ほら。今から食事会なんだし。……部長には謝ったんでしょ?」

「はい……」

 ロッカーの隅で目じりにティッシュをあてながら、池内からの激励に沈んだ心を少しずつ浮かそうとしていた。

「気にしてたよ、部長も」

「えっ……気付いてたんですか!?」

「うん、だから、疑われてるって気にしてましたよって言ってやったの」

 その池内の一言で少し心が明るくなった。

「なんて言ってました?」

「そんな風に言ったもりなかったんだけどって。どんな風に言ったつもりなのか知らないけど、そんな風にしか聞こえないわよね」

「……そうですか……」

「うん……じゃあ私、着替えて来るから。今日のワンピ、ちょっと着にくいのよね」

 ワンピなのに着にくいってどんなワンピなのだろう。そうやって、余計なことを考えながら池内の後姿を見ると、少し心が晴れた。

 池内のおかげもあって、一応、畑山には反省したところを見せられたのかもしれない。それはそれで、流していくしかないのかもしれない、と思いながら大きな溜息を吐いた。


 扇と永井が予約しておいてくれた居酒屋は初めて行く場所だったが、店内は落ち着いた雰囲気で、一つしかない個室も抑えておいてくれたため、一同上機嫌で畳に上がり込んだ。

 奥から適当に詰めたため、意識していなかったが、順に、永井、私、畑山、更に永井の前に池内、隣に秋元と並んだ。

 右隣で永井が座布団にあぐらをかいている恰好になる。

 実は畑山の歓迎会は、前部長の葬式が済んだすぐ後のことだったので、本人から控えるよう指示されていたため、今回初めて畑山参加の食事会となる。

 池内を含め女性はそれぞれ適当に私服を着込んでいる中、1人、秋元の衣装ともいえる服装は浮いていた。全体的に淡いピンクと白で構成され、締まってほしいところも全て、膨張されているせいで、いつもの1.5倍近くレースとフリルで膨らんでいる気もする。しかも、頭にはナースともメイドとも言い難い、帽子とも、カチューシャとも言い難いフリフリの布がついていて座っていても顔が異常に目立っているが、それはそれで華にならないでもなかった。

 畑山の衝撃の顔を見ることを忘れていたが、それに関して一言も感想を言わなかったところをみると、素知らぬふりをするつもりらしい。

「生中の人―!?」

 扇がしっかり戸口の隅から注文をとってくれる。

 私はあまりビールが好きではないが、最初の一口はみんなで揃えたいため、全部は飲めないと分かりつつ、右手を挙げた。

 周囲もとりあえず、と結局全員手を挙げている。

 数分して、それぞれの前にジョッキビールが行きわたったと同時に、なんと乾杯の音頭を勝手に菅原が取り、

「みなさんお疲れ様でした、かんぱーい!!」

 となったわけである。

 そうなれば、扇が周辺のデブ&小久保や代理&菅原で左半分を盛り上げ、残りは残りでペースを維持する形となった。

 池内は着にくいと評価していたワンピは、なんともない黒の柔らかそうな生地で大人の雰囲気が出ていて良かったせいで、その隣の甘ロリが浮いてしかたなかった。

「すごいわね、このレース」

 池内は秋元に感想を述べてから、

「ね」

 と永井に話をふった。視線で分かる。畑山に感想を聞けと言っているのだ。

 私は面白くてその時点で笑った。

「そうですね、すごいですね、そのレース」

 永井も慣れてはいるが、自分も感想に困ったらしく、畑山には振れないとでも言いたげだった。

 さて、共通の話題は仕事のことだが、永井の趣味の話がわりと出た中、畑山は一度も自分のプライベートの話を出そうとはしなかった。

 私はしばらくしてビールに口をつけるのをやめて、メニューを見始めた。その頃にはテーブルに次々と料理が並び始め、早い人は2杯目を注文し始めていたが、私のジョッキは半分も減っていなかった。

「次何か頼むんですか?」

 隣の永井が聞いてくる。

「カクテル……酎ハイにしようかな……酔うと怖いし」

「ビールもう飲まないんですか?」

「うん、いらない」

「じゃあもらいますよ」

 えっ、と思ったので、顔を上げられなかった。

 しかし思えば、前も池内のストローでカフェオレを味見していたし、多分そういうことに抵抗がない人で、一応友達だとか、思ってくれているのだろう。

「えーと」

 メニューを眺めているふりに気付かれたのかどうなのか、

「何が食べたいの?」

と、左隣の畑山から尋ねられた。

「えっ、……何にしようか迷ってるんです。カクテルか、酎ハイか……」

「飲めるの?」

「えっ、いえっ、あんまり……」

「酎ハイにしとく?」

「そうですね……」

 けど、気分はカクテルだなあと決めきれずにメニューを見ていると、

「酔いすぎたら送ってくよ。心配しなくても」

 顔を上げると、畑山はにっこり笑顔だったので、気を遣わせたと思い、すぐに

「やっぱ、酎ハイにします。酔うと困りますから」

と、控え目に言った。

「じゃ、僕はビールにしよう」

「あっ、注文しますけど、他にありますかー!?」

 私は少し大きな声を出し、仕方なく注文をとった。そうか、部長の隣に座るということは、こういうことか……。前部長は扇と仲が良かったため、必ずツーショットだったので気付かなかったが、部長の隣の席というのはこういうことらしかった。

 世話をやきながらも、すぐに時間は経過し、酔いがまわってきたところで攻めるつもりか、池内が一番ダメージの少ない永井に

「永井君彼女はいないの?」

 と、聞いた。しかし、35歳独身の秋元の前で、それは爆弾発言でもあるような気がしたが、秋元はこれといって表情も変えなかった。

「いませんよ。入社してからいないなあ。仕事が忙しいんで」

 永井は畑山のことは特に何も考えていないのだろう、笑っている。

「私もいません」

 少し酔いが回っていた私は、隣に流すつもりで先に口走った。

「畑山部長はあの、お一人なんですよね?」

 池内はさらっと聞いたが、周囲の耳は畑山の次の言葉をとらえるのに必死だった。

「…………、何? みんな真剣な顔して」

 言われてお互いハッとした。特に、池内の視線は畑山を射抜く勢いだ。

「あ、あのっ、畑山部長のことってまだよく分からなくて」

 池内が苦笑いをしたが、畑山はさらっと

「実は、結婚してたりして。池内さんみたいに」

と笑顔で交わした。

「えっ、結婚してるんですか!?」

 さすが永井は怯まない。

「してないよ、独身。彼女は募集してないけどね」

 やっぱり、と私は思った。今の流れは確実に池内を捉えている。

 池内はなんともなさそうだが、畑山は実に意味ありげだった。

「……何?」

 こちらの視線に気づかれ、畑山と目が合ってしまう。

「えっ、いえっ」

「彼女はいないけどね、彼女にしたい人はいるから。これ、ナイショね」

 畑山は小声の言葉の重さとは真逆に、口に人差し指を当て、目を和ませた。

「あっ、……はい」

 私は咄嗟に小声で返事をして、顔を逸らす。

 多分私が気付いていることに気付かれている。

 私は、池内が丁寧にから揚げを小さく切って口に運ぶ様子を見て可愛いと思い、畑山の心情を理解しようとしながら、冷たい酎ハイを一気に半分くらい飲んだ。


 酔わないと人妻を抱けない、というフレーズが勝手に頭を回ってしかたなかったのは、
畑山があまり喋らず、妄想をするのにもってこいの位置だったからかもしれない。

 池内と永井はいつも通りの調子で秋元も取り入れてはしゃいでいた。

 隣の畑山はふられるまで黙って飲んでいるし、時折、動かす手や横顔を見ると、この手が池内の身体に触れたいと思っているのかもしれない。だとしたら、どんな風だろう。夫がいるのに、と池内は乱れるのだろうか、それとも、きっぱり離婚してからなのだろうか。

 だとしたら、子供はどうするのだろう。引き取るのだろうが、畑山からすれば突然小学生の女の子を子供に持つことになるわけで、父親になりきれるのだろうか。

 それに、会社の目だって良くはない。人事異動で池内が移動させられることは、避けられないだろうし、最悪、畑山の降格、ということにもなりかねない。

「そういえば、営業の篠山(ささやま)先輩が藤沢さんのこと、可愛いって言ってましたよ」

 突然現実に引き戻された私は、しかも思いもよらないことを人前で言われて、赤面した。

「篠山先輩……」

 繰り返したが、顔はあまり覚えていない。

「あの人、結婚してない?」

 秋元が口を挟んだ。

「してますよ。半年くらい前かな。僕結婚式行きましたから。畑山さんも行きましたよね?」

 永井は畑山の方を確認した。

「うん、行ったよ。ここに移動する前だから一年くらい前になるかな」

「あ、そっか」

 というか、結婚した人が独身の人を褒めるとか、その流れ、マズイと思うんですけど!

「篠山さんって知ってます?」

 永井は確認してきたが、

「あんまり……結婚してたかどうかも知らない。けど」

 酔いのせいにしよう、と思って思い切って次の言葉を言ってみた。

「結婚した人がどうこう言っても、ねえ、そういうのは、あれですよね」

 ちら、と畑山を見た。

「え、僕は別に。なんとも思わないけど」

 うわ、やっぱそうなんだ!! と目を見開かずにはいられなかった。

 畑山はというと、言いっぱなしでしれっとグラスを傾けている。

「あ、畑山さんそういうの平気なんですか」

 永井が応えたが、あいにく池内は聞いてなさそうにサラダを一口食べた。

「いや、僕は結婚したことないから正直気持ちは分からないからね。

独身の立場から言わせてもらうと、篠山の気持ちは分からないって意味」

「まあ、確かにそうですね。僕も気持ちはわかりません。けど、篠山先輩は浮気しますよ、絶対」

「え、藤沢さんと?」

 池内はことらも、しれっととんでもない一言を発した。

「わっ、私はしません!!」

 不倫なんて、正直全然興味ないし、したいともしようと思ったことも、するつもりもない!

「私はしません……ですよね?」

 再び畑山を見た。

「何で僕に聞くの?」

 え、まあ、そうですけど……。

「気をつけといた方がいいですよ、篠山先輩。手癖が悪いですから」

 というか、先輩のことなのにこんな公な場で否定していいのか、永井!

「ま、否定はしないけどね」

 でも、畑山も言うくらいだから、そんなことで有名なのかもしれない。

「私はちょっと興味あるなあ、不倫」

 池内がここで爆弾発言を突然落下させた。

 慌てて、畑山を盗み見たつもりが、相手もこちらを見ていたので驚いて顔を背けた。

「えー、結婚してるじゃん。というか、なんで興味があるの?」

 秋元が正論を述べたことに意識をとられていたが、背後の人気が少し寄ってきたことに気付くと同時に、

「ナイショって言ってるでしょ」

と、小声で囁かれた。

 ズキーンと心臓を射抜かれた気分だった。

 私は頭を少し下げ、謝るようなそぶりを見せた。

 それが精一杯だった。

 そんなまさか、こともあろうに会社でも人気の部長が。独身でイケメンで仕事もできると三拍子揃った噂の部長が、まさかまさか、既婚者を好きだなんて……。

 ちょっと待って。ちょっと待ってよ……。

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