狂妄のアイリス

狂妄

「ただいま」


 扉の開閉音とともに、幼い声が玄関の方から聞こえる。


「お母さん……?」


 廊下の電灯がつき、クリスマスツリーのある部屋にも明かりが差しこむ。

 擦りガラスのはまった扉に、小さな人影が落ちる。

 クリスマスツリーのある部屋は、真っ暗だった。

 人の気配もなく、静まり返っている。


「いないの?」


 どこか不安げな少女の声。

 ゆっくりと扉が開かれ、人影が髪の長い少女の姿となった。

 部屋の中は暗く、少女は闇に目を凝らすように動かないでいる。

 異臭がした。

 少女はこの臭いを知っていた。

 何度も嗅いだ事がある、自分の体を傷つけた時の血の匂い。

 少女は動けないでいた。

 暗闇の中に差し込む廊下の明かりに、部屋の中は水没しているように見える。

 その水が、臭いの正体であったらどれだけの傷か。

 暗闇の中に、少女の息遣いだけが響く。

 暗闇の中に獣がいるかのように、己の気配に気づかれたら噛み殺されるとでもいうように、潜められた呼吸。

 それでも少女以外の生き物の気配がしない部屋。

 少女の呼吸はあまりにも大きく聞こえた。

 少女の手が、ゆっくりと持ち上げられる。

 右手が壁をまさぐり、電灯のスイッチを探す。

 住み慣れた我が家のこと、少女の手はすぐにスイッチを探り当てた。

 あまりにも濃密な血の臭いに、吐き気がする。

 でも、不思議と恐怖は感じなかった。

 心が感情を抱くことを拒絶しているように凍りついている。

 パチリとスイッチが入って、部屋が照らし出された。

 少女が思った通り、部屋を濡らす水は血だった。

 倒れたクリスマスツリーのきらびやかな飾り。

 それに彩られて、少女の母親はいた。

 首から上が爆発したように潰れていた。

 血の錆びたような臭いに、すえたような臭いが混ざる。

 少女は吐いていた。
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