氷の卵
第2章 花とあなたと

恋なんて

――高梨啓。


その名前をどうしても忘れることができなかった。

暗闇の中で握られた手の温もり。
店を開けた時の安堵した表情。
ぴよぴよとか言って、私をからかう声。
何より最後に、ありがとうと言った時の、震えて消え入りそうなその声。


いつもと変わらぬ仕事をしていても、ふとした瞬間に、それらを思い出す。
思い出した瞬間に、なぜだか涙がにじんでくる。


自分でも訳が分からなかった。
たった一回この店にやってきた、一人のお客さんが、どうしてこうまでに心に住み着いてしまったのか。

分からなかった。


今更恋なんてしないよ。

しない。


何故なら、私には忘れられない恋人がいるから。
今はもう会うことはできないけれど。
もう一生恋なんてしないと、私は決めたんだ。


じゃあ、何故なの?


自問自答しても、その答えは出ない。


高梨さんはどんな事情があろうとも、あの彼女の事を愛しているというのに。


ため息をつきながら作る花束は、どうしても納得がいかなかった。
何回か作り直したことで、無駄になってしまった花を見下ろしながら、私はもう一度深いため息をついた。
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