「竹の春、竹の秋」

2.

 「ごめん!やっぱ、ごめん!!!」
つないだ手を解いて、薫は男のその手を両手でぎゅうっと握り締めた。そしてそっと放して、振り返り、今来た道を戻る。少し駆け足になった。息せき切ってドアを開けると、カウンターに座っていた男は先程と変わらずにそこにいて薄暗い店内でも分かるほど厳しい表情でグラスを揺らしていた。
 「あらぁ?」
 とカウンターの中にいたテンガロンハットの男が少し大げさに驚いた表情をして、
 「カオルちゃん、どうしたの?忘れ物?」
 と尋ねた。
 「うん。」
 薫は、息を整えながらテンガロンハットの男に笑いかけた。テンガロンハットはそれ以上は何も言わないでニコリと笑ってまた客と談笑を始めた。

 走って来たから逸っている鼓動。手でぐっと押さえると、きっと落ち着くのではないかと思いながら、薫はこくんと唾を飲み込んだ。できるだけゆっくりと、薫はカウンターに近づく。ひとつ空いたカウンターチェアのほんのお飾りの背もたれに手をかけて、様子を伺った。小首を傾げた薫はとても愛らしく見えたがそれは薫が意識したものではなかった。
この男(ひと)が気になって仕方がない。いつも見せていた明るい表情はどこにもないその男は、薫に気づいて愛想笑いの代わりに厳しい表情を少し和らげて、「どうぞ」と言った。

 忘れ物。
 「忘れ物・・・」
 「え?何?」
 「ううん」
 薫は、目をそらさずに男の隣に腰をかけた。
 「お久しぶりです。って言ってもお互い名前もしらないからあれだけど。以前はよくお見かけしたんですよ。この店で」

 持っているなら手練手管のすべてをつぎ込もうと思った次の瞬間に薫はただ素直に男の隣に忘れ物の理由をそっと告げる。
 「だから、なんか・・・・、気になって。」
 男は薫の表情をじっと見つめる。遠慮もなしに、文字通り薫の髪の先から足の先まで見つめた。
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