孤高の貴公子・最高責任者の裏切り

4/12 1人の女性を取り巻く冷気

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「おはようございます、女王様」

「あ……おはようございます」

 イキナリ椎名さん、とは呼べない。他の人も彼女のことを椎名さんとは呼ばないし、よく見れば、誰も彼女のことなど相手にしていない。データ入力という他人とかかわることが少ない位置にいるせいだと思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。

 これは、早い段階で春野に、「失敗した」事を聞いておかなければならない。

「あれっ、おはようございます」

 山本の驚いた声が聞こえて入口を見た。

「え、今日、出社……?」

 フランソワはすぐに今日のシフトに視線をやった。

 だが、もちろんそこに春野の名前はない。

「いや、娘送ったついでに見に来ただけ。リハビリ、リハビリ」

 病院では分からなかったが、春野はかなりガタイの良い男性であった。背は190近くあるに違いない。三浦も和久井も180を超えているので、長身の男性は見慣れているつもりだったが、春野は胸板の厚さが違うのが、ティシャツ越しにでも分かった。

「おはようございます」

「おう」

 それぞれが挨拶する中をジーパンのポケットに手を突っ込んだまま歩く春野に対し、フランソワは、果たして、

「…………」

 無言であった。顔すら背けている。

「結構片付いたなあ」

 そしてまた、春野も無視だ。

「えっと、そうでもないと思いますけど。まだあの辺りとか、この辺りとか、こうしようと思ってはいるんですけど追いついていません。今日もまだ一昨日分の出荷がしきれてないんですけど私、そろそろ定例会議に出ないといけないので……」

 山瀬は腕時計を見た。それと同時にフランソワが、

「あの、私(わたくし)昨日棟方サブマネージャーに来月のシフトをお渡ししたのですけど、少し間違っていまして。訂正した物がありますのでそれをお渡しして頂けませんか? 女王様の手で」

 恐ろしいくらい見つめられ、山瀬も声が出ない。

「山瀬、ついでだろ。渡してやれ」 

 春野は冷たい視線のわりに温かな言葉をかけてくる。だが次は椎名の目をしっかり見て、

「女王様はやめろ。彼女の名前は、山瀬。山瀬代理だ」

 きちんと指導はする。

「フン……」

 椎名はあからさまに顔を背けたのだが、わりと好んでしかられているような気がした。

 山瀬はなんとなく輪を抜け、エレベーターを使い、3階の会議室へ上がる。全く思うように時間がとれない中で、なんとか2つの役を担い、なんとかできるだけのことはしているつもりだ。

 定例会議も2度目なので今回は会話が理解できることを祈る。そして後は……このでたらめなシフトを渡すだけ……。
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