倦怠期です!
第一部 過去編(出会いからでき入籍まで)

私、鈴木香世子。
内気で人付き合いが苦手、加えて勉強は嫌い。
だから高卒で就職し、事務の仕事をすると決めた私は、迷わず商業高校を受験し、見事合格した。
後で担任の先生から「奇跡だ」と呟かれたのは・・・聞かなかったことにした。
だって、塾通いしてまで勉強したのは、生まれて初めてだったから。
そこまで必死に勉強すれば、奇跡だって起こるはず。



90年代初めの当時は、いわゆるバブル経済の最盛期だったこともあり、学校にも事務職の求人がわんさか来た。
44人いたクラスメイトの半数は、夏休み前に就職が決まったくらいだ。
私は、それより少し遅い10月初めに、「タハラ商事」の入社が決まった。

別にえり好みをしていたわけじゃないし、企業名や規模を基準に選んでもいない。
ただ、土日が休みで、給料は手取り10万以上、家から片道30分以内で行ける、交通の便が良い場所にあって、残業はない方がいい・・って、そこは実際入ってみないと分からないんだけど!
とにかく、そういったことを基準にして、私は会社選びをしていた。
そして見つけたのが「常盤商事」という、国内でも大手の商社。
先生からは「鈴木の成績だとギリギリなんだが・・でも鈴木は事務系の資格をたくさん取ってるし、今のご時世だったらいけるかもしれない」と言われて受けたけど、落ちた。
常盤商事クラスを受けるなら、成績が学内10番以内に入っていないと難しいと、あらかじめ先生から言われていたこともあって、やっぱり私の学力じゃ無理だったか、と割と早く諦めはついた。
それに、常盤が落ちても、他に求人はまだたくさんある。
バブル最盛期の当時の現状は、そういうものだった。

そして夏休みに入る直前、銀行受けてみるかと、担任の先生から言われた。
銀行といえば、その当時は、公務員と並んで安定した企業と言われていたっけ・・・。

銀行の場合、初任給は10万近くと、当時の平均より少し低い9万円台。
つまり、6ケタではなく、5ケタだ。
この違いは結構大きいんじゃない?
でもそれが高卒の初任給の基準額だと先生は言っていた。
銀行も土日は休みだし、小学6年間、そろばんを習っていた私は、その頃「大きくなったら銀行員になりたい」と思っていたこともあって、その地方銀行を受けようと思った。

だけど・・・ちょっと待った!
よーく考えてみたら、銀行っていわゆる窓口業務があるんだよね?
それって、お客さんと直に接する接客業だよね?

人見知りが激しい私は、絶対接客業は向いてないし、できない。
だから事務をやると決めていた私は、結局銀行を受けなかった。
まさにバブル経済は買い手市場。
ここがなくても他があると選べるのは、私たち、雇われる側にあった。




そうして夏休みが終わり、2学期が始まった。
クラスメイトは次々と就職が内定していく。
9月終わりの段階で、クラスメイトの3分の2が就職先を決めていた。
でも、そのときまだ就職先が決まってなかった私に、焦りはなかった。
もし就職決まらなかったら、求人雑誌から事務のバイト見つけよう、なんて軽く考えてたし。

そんな矢先の10月初め、先生が一つの求人を紹介してくれた。
それが「タハラ商事」だった。

タハラ商事は、中堅クラスの総合商社。
土日休みで、手取りの給料は10万ちょっと。
しかも住所を見ると、うちから近い。
職種はもちろん事務。
商社なら、いわゆる窓口業務はないはず。

私が思う条件を満たしていたこともあって、私は「受けます」と先生に即答した。


タハラ商事は創業40年目の「超一流の中堅商社」。
ここ数年、高卒の子は新規で採用してないけど、去年中途で入った事務の女の子が、たまたま私と同じ商業高校出身だということで、今回うちの高校に求人を出したこと、職種は営業事務だと、面接をしてくれた専務の中島さんが教えてくれた。

「“冷熱課”の営業事務をしている女の人が辞めることになってね。鈴木さんにはそこに入ってもらいたいと・・・」
「ちょっと中島さん。この子に課のことを言っても、まだ分からんだろ」
「あ、そう?ま、その辺は、うちに入れば分かることだから」

筆記試験もあったものの、面接は最初から「採用です」って感じで始まり、「採用です」と言われて終わり、私はあっけなくタハラ商事に就職が決まった。

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