倦怠期です!
第二部 現在編 (でき入籍から20年)

1月26日に仁さんと入籍した私は、「鈴木香世子」から「有澤香世子」になったけど、仕事では変わらず鈴木姓を名乗っていたし、会社でも相変わらず「すず」とか「すずちゃん」と呼ばれていた。
なぜか仁さんも、仕事時には「すず」と呼んでたっけ。

私個人の意見としては、結婚しても、続けることができる限り、仕事は続けたいと思っていた。
急なことで結婚にまで至ったし。
というか、まさかこの私が結婚するなんて、妊娠するまで思ってもみなかったし・・・。

じゃなくって!

まさかこの私が妊娠するなんて!
いやいや、それ以前に誰かとつき合うとか・・・。
しかも相手は、すごくカッコよくて、とても頼りになる仁さんだし。
夢見る夢子じゃない私でも、仁さんはまるで白馬に乗った王子様のような人だと思うし、モテる男なのは間違いない。
それなのに、なんでこんな・・・さえない不愛想な私のことが好きなのか・・・謎だ。

とにかく、絶対にお姉ちゃんしか結婚しない、それも近いうちに、とまで思っていたのに。
お姉ちゃんよりも先に、私の方が結婚してしまった。

人生何が起こるか、本当に分からないものだ。
と、他人事のように思う私。

私も仁さんもまだ若いし、仁さん一人より、私たち二人分の収入源があったほうが、現実的に助かるというものだ。
だけど実際は、つわりがひどくて、とても仕事ができるような状態じゃなかった。
2月には、さほど忙しくない月初めの時期に、有給消化を兼ねて仕事を休ませてもらって、20日の締のあたりには、自分の体に鞭打って出社して、どうにか仕事をこなしたのが現実だ。

まぁ、タハラでは、社内でも社外でも、結婚したら女性が会社を辞める風潮がまだ残っていたし、2月じゃなくても、出産前には辞めることになっていたと思う。

そうして私が慌ただしくタハラを辞めてから、仁さんと二人で暮らすアパートを見つけた。
というか、実際は、つわりでフラフラな私は動き回れる状態じゃなかったので、仁さんがアパートを見つけてくれた。

私のお母さんには、入籍前にドタバタと挨拶を済ませたものの、「入籍する」と電話で連絡だけしていた仁さんのご両親は、2月に入ってすぐ、遠い福岡から横浜まで、文字通り駆けつけてきてくださった。

初めて会う方々が、いきなり義理の両親というのは、実に緊張する。
しかも私は、つわりでフラフラしているし、外見も見苦しいんじゃないかとか、何か食べたらまた吐いちゃうかも、とか考えて。
でも、ロクなおもてなしもできない私に、お義父さんとお義母さんは開口一番、「香世子さんのことは仁一郎からずーっと聞いてたから、やっと会えて嬉しい」と言われて・・・。

その上、「うちらの娘になってくれて、どうもありがとう」と言ってくださったり、初めての孫が生まれるのを楽しみにしていると、プレッシャーにならない程度に喜んでくださったのは、とても嬉しかった。
さすが仁さんのご両親だけあって、私は素晴らしい義両親に巡り会えたと、ボロボロ泣きながら感激していた。

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