きみと駆けるアイディールワールド―緑風の章、セーブポイントから―

●我が家のシリアス!

 あたしが家に帰り着いたとき、うちには誰もいなかった。瞬一は補習とか自習とか、勉強しまくって帰ってくる。パパとママも留守。居間のテーブルの上に、古風ゆかしく手書きのメッセージが置かれていた。震えていびつなパパの字だ。
〈今日から検査入院です。今回、けっこう長期になる予定。うおー、退屈だ! そのうち、おもしろい漫画でも紹介してくれ! ママもしばらく泊まり込みだけど、えみもしゅんも、ちゃんと食事をするように〉
 隣の響告《きょうこく》市にある世界的な先端医療施設、響告大学附属病院にパパの主治医がいる。パパの病気はALS。神経系の、進行性の、不治の病だ。進行性っていうのは、発症したらどんどん病状が進んでいくって意味。風邪とかと違って、自然回復はしないって意味。
 パパは、発症した。まだ初期の症状しか現れてない。ALSは、発症してからの平均寿命は2年から4年って言われてる。
 嘘だーって思う。パパの余命が2年とか4年とか、信じられるわけないって。
 パパは元気だよ。すっごいしぶといし。今日だって、きっと歩いて病院に行ったんだ。響告市まで、ママと並んで歩いたはず。足がもつれて転んでも大丈夫なように、肘にもひざにもプロテクターを付けて、帽子タイプのヘルメットをかぶって。
 ALSは、体を動かすための神経が弱っていく病気だ。症状が進むにしたがって、体の自由が利かなくなる。
 パパはあたしのヒーローだ。まあ、あたしのパパだけあって、顔は全然カッコよくないけど。昔はサラリーマンだった。病気がわかってからは会社を辞めて、副業だったライターの仕事に専念するようになった。おかげで、入院中も仕事ができる。
 あたしが小さいころ、パパは毎晩、絵本の読み聞かせをしてくれてた。しかも、いちいち笑えるアドリブ付き。それがすっごく上手だった。あたしが声優に憧れた最初のきっかけは、実は、アニメじゃなくてパパの読み聞かせだった。
 「笑音」って名前をあたしに付けたのもパパ。いつでも笑っててほしいから、って。自分の名前、あたしはほんとに気に入ってる。
 パパは、楽しいことが大好きだ。例えば、最近、パパとママと瞬一とあたしの4人でトランプをしたときのこと。パパは、「全員、血圧をモニタリングしよう」って言い出した。
 血圧って、「よし、今だ!」ってタイミングで上がるんだよね。ポーカーで役が揃いそうなときとか、神経衰弱で狙えるカードを見つけたときとか、大富豪で瞬一いじりの作戦を立てたときとか。
 あたしなんか、ほんとにわかりやすかった。血圧が、わーっと上がっちゃう。そしたら、みんな警戒体制に入る。おかげで、せっかくのチャンスも逃したり。
 ちなみに、パパもけっこう正直。顔にも血圧にも出ちゃう。瞬一は顔に出さないけど、血圧はごまかせないね。ママがいちばんクールだった。
 ついでに言うと、パパってけっこういい大学の理学部生物系の出身なんだけど、卒業論文のテーマがひどい。『マージャンと血圧の相関関係についての共同研究』って。
 大学4年生の冬、悪友仲間4人で血圧を測りながら徹夜でマージャンして、徹夜の頭で卒論を書き上げて、勢いのまま教授に提出。呆れられたけど、無事に卒業できたらしい。
 こういうパパだから、ALSの発症がわかったときも、明るく宣言した。
「不治の病っていうのは挑戦し甲斐があるな。よし、ALSを克服した最初の人間になって、ギネスに載ってやる!」
 パパはライターの立場を活かして入院日記を公開してるけど、「闘病」とは一言も書いてない。「挑戦」って呼ぶ。文章もやたらハイテンションで熱血で、オリンピックでも目指してるみたいなスポ根風。なんか楽しい読み物だから、カンパもよく集まる。
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