マネー・ドール

(2)

 その日は、事務所で怒鳴られ、クライエントに怒鳴られ……最悪の一日だった。
ああ、もう、疲れた……もう、うんざりだ……もう、何もかもイヤになった……
ヤケ酒は深くなり、俺はもう、泥酔状態で、後輩に迷惑がられながら、家まで送ってもらった。

「帰ったぞ!」
寝室のドアを開けると、真純はもう眠っていた。相変わらず真純は仕事ばかりしていて、俺が先に寝るか、真純が先に寝るか、そんなすれ違いの生活が一年ほど続いていた。
「おい! 起きろよ!」
俺は真純を無理矢理起こし、スーツとシャツと靴下を脱ぎ捨てて、ベッドに体を投げ出した。
「随分……酔ってるわね」
なんだよ、その目……そんな、そんな目で俺を見るな!
「水! 水持って来い!」
「……はいはい」
真純は汚ないものを見るかのように、目を細め、酒の臭いに口を押さえ、俺の前に、冷蔵庫から持ってきたペットボトルを置いた。
「じゃ、おやすみなさい」
白い花柄のタオル地のパジャマ。きっと高いヤツなんだろうな。そのパジャマ、誰の金で買ったんだよ? 俺の金だろ? この水だって、俺の稼いだ金だ!
「真純」
「もう、何なの? 眠いんだけど」
「やらせろよ」
俺は、酔っていた。
「……何、言ってるの」
「やらせろっつってんだよ!」
完全に酔っていて……限界だった。真純は黙って、毛布を持って、ベッドから出た。
「どこ行くんだ!」
「リビングで寝るの」
「待てよ!」
冷たい目で見る真純の腕を掴んだ。その腕は、細くて、白くて、弱々しかった。
「やめて。触らないで」
触らないで? ふざけんな。お前の体は俺のものだ!
「俺らは夫婦だろう。セックスしようぜ。夫に体で奉仕するのが妻の役目だろう!」
真純は蔑む目で、俺を見ている。
……俺はもう、本当に……真純……助けてくれ……
「最低」
「はぁ? お前、誰のおかげでここに住めてると思ってんだ?」
「お父様のおかげでしょ」
「なんだと!」
「アンタの稼ぎだけじゃ無理でしょ。稼いでもいないくせに、偉そうにしないでよ。だいたい、今の事務所だって、コネで入ったんでしょ? 何が奉仕よ。バッカみたい」
真純はスラスラと、ハキハキとそう言って、背中を向けた。俺は、俺は……
「ふざけんな! このアマ!」
俺の手は、真純の顔を殴っていた。一回、二回、三回……
手が、痛い……
たぶん、記憶の限りだと、女を殴ったのは、いや、他人を殴ったのは、生まれて初めてで、でも、もう……止められなかった。
「もう一回言ってみろ!」
「何度でも言ってあげるわ! 稼ぎのない、バカ男!」
真純は俺を睨みつけて、その目は、見たことがないくらい、冷たくて、悲しくて……でも、俺は……
「離して!」
俺は真純をベッドに押さえつけ、白い花柄のパジャマを剥ぎ取った。
「やめて! やめてよ!」
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