想い出は珈琲の薫りとともに
10.dieci-1 (井上 side)
梅雨終盤、激しい雨の降ったその日。
私は打ち合わせのためアルテミスに向かった。途中、薫さんと約束をしていた亜夜さんを拾って。
「帰りました」
その雨も小康状態となり、とうに定時を過ぎた時間。この部屋の主は帰宅しているが、長年の習慣は抜けずそう声に出しながら入る。
「お疲れ様でーす!」
自席で顔を上げ、軽い調子で言ったのは安藤だ。
「まだ残っていたんですか」
湿り気を帯びた上着を脱ぎながら私は尋ねる。安藤はパソコンの画面に視線を落としたままそれに答えた。
「もうちょいで書類出来上がりそうだったんで。井上さんは? もう帰る?」
「私は今から打ち合わせのまとめ資料の作成です。あなたは早く帰ったらどうですか? 新婚なのに」
応接セットを挟んだ安藤の向かいの自席に着くと、呆れたように溜め息を吐いた。
安藤は先月、六月の半ばにアルテミスの入るホテル、プリマヴェーラで式を挙げたばかりだ。その相手も仕事の忙しさは理解しているだろう。だが結婚してまだ一月も経っていないのに残業続き。相手にいつ愛想を尽かされるか他人事ながら心配になる。
「ん〜。まぁ、大丈夫でしょ。飯作るのに時間かかるから、あんまり早く帰られても困るって。けど俺のこと待つからなぁ。待たなくていいっつってんのに」
キーボードを叩きながら安藤は言う。相手を知っているぶん、目に浮かぶようで苦笑する。
「適当に切り上げて早く帰りなさい。そのうち『あちらの家』から苦情が入りそうですから」
そう苦言を呈すと安藤は決まり悪そうに頭を掻いた。
「それありそうで怖いんですけど? じゃあそろそろ片を付けますよ。井上さん、遅くなりそうなら夜食買いに行きましょうか?」
「いえ。構いません。私もそう遅くないうちに帰ります」
溜め息を吐き出すように答えると安藤は訝しげにこちらを見た。
「なんか疲れてますけど例の企画、うまくいってないんですか?」
そう尋ねたたあと「よし」と小さく呟き安藤はノートパソコンを閉じた。
私は打ち合わせのためアルテミスに向かった。途中、薫さんと約束をしていた亜夜さんを拾って。
「帰りました」
その雨も小康状態となり、とうに定時を過ぎた時間。この部屋の主は帰宅しているが、長年の習慣は抜けずそう声に出しながら入る。
「お疲れ様でーす!」
自席で顔を上げ、軽い調子で言ったのは安藤だ。
「まだ残っていたんですか」
湿り気を帯びた上着を脱ぎながら私は尋ねる。安藤はパソコンの画面に視線を落としたままそれに答えた。
「もうちょいで書類出来上がりそうだったんで。井上さんは? もう帰る?」
「私は今から打ち合わせのまとめ資料の作成です。あなたは早く帰ったらどうですか? 新婚なのに」
応接セットを挟んだ安藤の向かいの自席に着くと、呆れたように溜め息を吐いた。
安藤は先月、六月の半ばにアルテミスの入るホテル、プリマヴェーラで式を挙げたばかりだ。その相手も仕事の忙しさは理解しているだろう。だが結婚してまだ一月も経っていないのに残業続き。相手にいつ愛想を尽かされるか他人事ながら心配になる。
「ん〜。まぁ、大丈夫でしょ。飯作るのに時間かかるから、あんまり早く帰られても困るって。けど俺のこと待つからなぁ。待たなくていいっつってんのに」
キーボードを叩きながら安藤は言う。相手を知っているぶん、目に浮かぶようで苦笑する。
「適当に切り上げて早く帰りなさい。そのうち『あちらの家』から苦情が入りそうですから」
そう苦言を呈すと安藤は決まり悪そうに頭を掻いた。
「それありそうで怖いんですけど? じゃあそろそろ片を付けますよ。井上さん、遅くなりそうなら夜食買いに行きましょうか?」
「いえ。構いません。私もそう遅くないうちに帰ります」
溜め息を吐き出すように答えると安藤は訝しげにこちらを見た。
「なんか疲れてますけど例の企画、うまくいってないんですか?」
そう尋ねたたあと「よし」と小さく呟き安藤はノートパソコンを閉じた。