想い出は珈琲の薫りとともに
11.undici
 まるで映画の世界。セットではなく、本当にこんな家が実在するんだ……と玄関を入ると震えそうになる。
 エントランスは広いホールになっていて、上に繋がる階段がある。奥に続く廊下には赤地の絨毯が敷かれていて、脇には絵画や美術品が点在していた。

(ここに住んでいるなんて……、信じられない……)

 外観だけでも圧倒されたのに、内観は一層日常とはかけ離れた空間で、より圧倒されてしまう。

(服装、これで良かったのかな?)

 薫さんも井上さんも、八月のこの暑さの中でもスーツ姿でネクタイもきちんとしている。仕事に行く時でも最近はノーネクタイが多かったから、それだけで本家を訪れると言うのがどういうことなのか肌で感じた。だから自分も出来るだけ綺麗めのネイビーのセットアップのパンツスタイルにしたけれど、それでも不安になってしまった。

「さすが。想像以上ですね」

 私の後ろから井上さんが独り言のように小さく口にする。

「井上さん、もしかして初めてですか?」

 薫さんとの付き合いも長いはずだから意外だった。私が振り返り尋ねると井上さんは口角を上げた。

「えぇ。薫さんを外までお送りしたことはありますが、中は初めてで。なかなかに緊張しますね」

 そう言いながらも笑みを浮かべる井上さんはそんな風には見えない。もしかしたら私の緊張を解そうと言ってくれているのかも知れない。井上さんはそんな人だ。いつも陰からそっと支えてくれて、勇気を与えてくれる。だから、今日も一緒に来てくれると聞いてホッとしたのだ。

「ようこそいらっしゃいませ」

 奥から細身の年配の女性が現れると穏やかな表情で声を掛けられた。おそらくお手伝いさんだろう。白いエプロンを身につけている。

「お祖父様はどちらに?」

 薫さんが女性に尋ねると「応接室にいらっしゃいます」と答えが返る。

「ありがとう」

 薫さんは女性に返すと振り返り私たちに視線を寄越した。

「じゃあ、案内するよ。行こうか」

 私はそれにゆっくり頷くと「はい」と答えた。
< 160 / 224 >

この作品をシェア

pagetop