もしも明日、この世界が終わるなら

絶望の果てに


 目の前には、九月も半ばを過ぎた秋空が広がっている。今日はすっきりとした快晴で、数羽の(とび)がぴーひょろろ、と鳴きながら優雅に旋回(せんかい)していた。
 
 僕は、マグカップくらいの大きさの(びん)を胸にぎゅっと抱えて、学校へ向かっていた。瓶の中には、砂浜の砂によく似た細かく白い砂が、いっぱいに詰まっている。
 
 まだ昼前だと言うのに、街にはまったく人気がない。

 中には一部、砂に埋もれている家もある。風が吹くと、砂が舞う。まるでゾンビ映画に出てくる廃墟(はいきょ)のようだ。

 そんな寂しい街並みを見て、ひとごとのように僕は思う。
 
 この街は――いや、日本はもう、終わりだ。


 * * *


 それは、三ヶ月前のことだった。
 平和ボケしていた日本に、突如原因不明のウイルスが発生した。
 それは、ひとが砂に変わる奇病(きびょう)。ウイルスの感染力は凄まじく、たったの二時間で東京は人工物と砂漠(さばく)融合(ゆうごう)する砂漠都市と化した。
 
 国はそれを、砂化(すなか)ウイルスと呼んだ。すぐさま警報が日本全国に発せられ、対策室が設けられた。感染者だった砂の研究、国民の隔離(かくり)、空港の封鎖(ふうさ)など含め、科学を駆使(くし)したあらゆる措置が取られたが、感染は広まるばかりだった。

 僕の母と姉も、その犠牲(ぎせい)となった。

 おとといの昼、コンビニから帰ってきたら、母は庭で砂になっていた。たぶん、母だったはずの砂の周りに洗濯物が散らばっていたから、取り込んでいるところだったのだと思う。

 母がいつ感染したのかは分からない。なにしろウイルスの実態は、国すらまだよく分かっていないから。

 母が砂となったのは風の強い日で、砂のほとんどが風に飛ばされて残っていなかった。
 僕は必死に母の残骸(ざんがい)をかき集めて、キッチンにあった珈琲豆(こーひーまめ)の瓶に入れた。

 そして、泣きながら二階の姉の部屋に行って扉を叩いた。しかし、姉は出てこなかった。

 どうしたのだろう、寝ているのだろうか。こんなときに……と思いながら、僕はなんの覚悟もなくその扉を開けた。

 そうして、また絶句(ぜっく)した。姉も、砂になっていた。ベッドの上には、姉だったはずの砂と姉が着ていた部屋着だけが残されていた。
 
 たったの一時間、家を空けただけ。たった一時間で、そのウイルスは僕の家族を奪っていった。

 日本の人口は、今や二千人いるかどうかだ。
 人口自体が減って感染が落ち着いてきた今、国はウイルスが突然変異(とつぜんへんい)を始める前にと動き始めた。
 生き残った国民を、海外へ移送(いそう)するというのだ。

 僕が振り分けられた避難先は、アメリカだった。
 
 今日、僕はアメリカへ発つはずだった。けれど、搭乗直前(とうじょうちょくぜん)になってやめた。
 逃げ出したのだ。生きるという絶望から。
 
 恐ろしかった。知らない場所にひとりで行くことも、このままひとりで生きていくことも。

 べつにマザコンだとか、シスコンなどではまったくなかったけれど、人間、こういうときはずいぶんと精神がやられてしまうらしい。

 どうせ、今さらここではないどこかへ行ったところで、僕はひとりぼっちだ。ひとりで生きることに、なんの意味があるだろう。
 
 僕の体は、既にウイルスに感染しているかもしれない。体内ではウイルスがどんどん増殖していて、アメリカについた途端、乾いた砂になるかもしれない。そうしたら、あちらのひとたちにも迷惑になる。
 
 今さらこの国のひとたちに――いや、僕にはもう、行き場なんてないのだ。どこにも。
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